連載第20回となる『中山秀征の語り合いたい人』。今回のゲストは、’13年、高視聴率ドラマ『半沢直樹』(TBS系)でオネエ口調の官僚役を演じて大ブレイク。その後も活動の場を広げ続ける歌舞伎役者、片岡愛之助(42)。今や新世代の歌舞伎を盛り上げるシンボル的な存在となった“ラブリン”の胸のうちに迫った。
中山「愛之助さんは、もともとは梨園の生まれではないわけですよね」
愛之助「実家は船のスクリューのプロペラを作る会社を祖父がやっていまして、その工場が自宅と同じ敷地にある。そんな工場地帯に住んでいるので、子どものときは危ないから外に出るなと。家の中で妹とお手伝いのおばあちゃんと3人で遊ぶ日々で、それを親父がかわいそうに思ったらしい。新聞に松竹芸能の子役募集の広告があって、子ども同士の触れ合いのため、塾代わりに行かされたんです。それでオーディションに受かった」
中山「世界が変わった瞬間ですね」
愛之助「いちばん最初はテレビでした。藤山直美さん初主演の銀河テレビ小説『欲しがりません勝つまでは』(NHK)で、小学1年のとき。それから普通の舞台にも出させていただき、初めて歌舞伎に触れまして」
中山「どうだったんですか、子ども心にあの歌舞伎の雰囲気っていうのは」
愛之助「面白かったです。まず顔を白く塗るというね。楽屋入りしたときはお兄さんでおじさんだった人が、急に女の人になって出てくるわけですからね。あとは舞台で盆が回ったり、セリが上がったり下がったり、役者が宙づりで飛んで行くのを見て、テーマパークに来たような気分になって。楽しくてしょうがなかった」
中山「世襲の方が圧倒的に多いなかで、入ってからがなかなか大変と聞きますが」
愛之助「それが、つらい思いをしたとか、いじめられたとか一回もないんですよ」
中山「本格的にやるとなったら稽古なんか圧倒的に増えるわけじゃないですか。そういうのつらくなかったですか?」
愛之助「師匠がよかったんですよ。着物の着方もたたみ方も知らないゼロからのスタートですからね。でも、うちの父(片岡秀太郎)の姉の花柳寿々先生は、お芝居が終わって夜10時ごろからでも『はい、やりましょう』って」
中山「日舞、ちょっとやったことあるんですが、すごく疲れるじゃないですか。あんなに静かに踊って、重心を下げたまま、座ったり立ったり。すごい筋力ですよね」
愛之助「だからズボンとか入らないですよ。ピチピチですよ、腿が。ほんとに」
中山「普通なら『もう眠い、帰りたい』ってところを自ら進んでやるんだから、やりたくてしょうがないって感じですよね」
愛之助「ヒデさんも歌舞伎やったら、『俺、歌舞伎役者になりたい』って、もう絶対言わはると思いますよ」