隔週連載《中山秀征の会いたい人》。今回は、’06年にデビューし瞬く間に国民的グループとなり、’13年に解散したファンキーモンキーベイビーズのリーダーだった、ファンキー加藤さん(35)。解散からソロ活動への切り替えには、どんな思いが?

中山「昨年、思い描いていた東京ドームで最後を飾り、ソロとしての活動が始まりましたが、切り替えはどうでした?」

加藤「もうめちゃくちゃ苦しかったです。2日間のコンサートを終えて、6月3日に日付が変わった瞬間に、すごく怖くなりました。社会のシステムから突き放されたような感覚というか、まったく地に足が着かない世界が、それでも淡々と回り続けていることに非常に恐怖心を覚えて」

中山「なんとも言えない、無性な怖さにおそわれた」

加藤「自分が忘れられてしまいそうな不安に耐えられなくなって、リゾート地と呼ばれる海外での休暇を切り上げて1週間後にはもうスタジオに入っていました」

中山「じゃあ全然休んでいないんだ?」

加藤「はい。とても休んでいられるような精神状態じゃなかったんですよ。何も決まってないのに、曲作りを始めて、『ソロ活動します!』って宣言までしちゃって。アハハ。完全に勇み足なんですけど、『僕はここにいるよ!また歌うよ!』と早くみんなに言いたくて」

中山「グループを飛び出した人なら『自分が決めた道だから』って覚悟も決まるけど、ファンキーさんの場合はすごく複雑な再スタートですもんね」

加藤「そうですね。だから完全にマイナスな感情から第1歩を踏み出したという感じでした。スタジオに入っても独りぼっちだし、いろいろ考えては落ち込んで……。1人だから、自問自答する時間がまたすごく長いんですよ」

中山「さあ、いよいよ、となるまではだいたいどれくらい時間が?」

加藤「3〜4カ月くらいですかね。ある日ふと『なんでファンモンは解散したんだ?』と問いかけが浮かんで。そうしたら『ケミカルが住職になるから解散したわけで、僕はファンモンでやっていた音楽が好きだし、ファンモンで歌っていたファンキー加藤こそが俺の理想型だ。だったら、そこに新しいスタイルなんていらないんじゃないか。深く考えずにやりたいことをやればいいんじゃないか』と思い当たって。さらに『自分がこれまで言葉の矢を放っていたのはどこだ?。ファンのみんなだ。ファンのみんなに手紙を書こう!』となり、便箋に『拝啓なになに』と書き出したらもう止まらなくなって。その手紙をもとに生まれたのが僕のデビューシングル『My VOICE』なんです」

中山「いちばんストレートな気持ちを、そのまま素直に曲にしたんですね」

加藤「はい。だから『ソロになってもファンモンと何も変わってねーじゃねーか』と揶揄されることがあるんですけど、その言葉って僕には褒め言葉なんですよ」

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