「体の異変を感じたのは6月中旬です。声がかすれて、ときどき『コホン、コホン』とせきをするようなりました。都内の大学病院で診てもらうと、専門医の教授から『喉頭がんの第二ステージです』と言われました。それが、7月中旬で、仕事は全部キャンセル。胃がんのときも、点滴を打ちながら『笑点』には、出演していたのに……」と振り返るのは林家木久扇(77)。1969年から出演し続けていた『笑点』を休んでの、がん闘病生活が始まった。
「大学病院に行ったときには声は、もうほとんど出ない状態でしたが、先生は『放射線を使って約7週間で治ると思います』。しかも、『通院でいいです』と。ですが、先生は、いちばん気がかりな声のことは何もおっしゃらない。放射線を照射したことで、がんは徐々に小さくなっていきましたけど、声が出ない状態は続いて、本当に毎日が不安でした」
落語家は、声が出なければ仕事にならない。このまま声が出なければ落語家を廃業するしかない――。闘病中は、そんな不安でいっぱいだったという。
「闘病中も『笑点』は毎週欠かさず見ていました。番組担当者の配慮で、代役は立てずに、僕の席は空席のままでしたけど、『このままだと、あの場所を誰かに取られちゃうんじゃないか』という恐怖心があってとても笑えたものじゃない。会場のお客さまが大笑いしていても『何がおかしいんだろう?』という感じでした」
そう当時の心境を語る。治療開始から約2カ月。ある朝、突然、声は出るようになった。”闘病日記”に、その日のことをこう記している。
《9月21日(日) 朝起きてうちのママが「お父さん、お早う」と声をかけてきたから、私が何気なく「お早う」と返事をすると、声が出た! すかさず「お父さん! 声出てるんじゃないの!!」とママ。あっそうだ声が出た! 私も本当にびっくりして言葉を続けた(以下略)》
「声が出て、まず思ったのは『儲かった!』と(笑)。落語ができればお金が入ってきますから。プロの芸人として『お金を取れる芸人に戻れた』というのが、とてもうれしかったですね。今回の闘病については『また命が助かった』という考え方もしています」
声が出た一週間後の27日には、早くも『笑点』収録に復帰した林家木久扇。闘病を支えてくれた妻には、来る誕生日、感謝を込めてダイヤモンドを贈る予定だという。