「大阪で映画『ビリギャル』の試写会が行われた際、母と2人で妹に会いに行ったんです」と語るのは、新井ゆうこ(24)。グラビアアイドルとして活動中の彼女が今、注目を集めている。きっかけは、5月20日に夕刊紙で彼女が“有村架純(22)の姉”と報じられたこと。新井は、時の人となった。そんな有村の姉であることを伏せてきた彼女が、重い口を開く。

「記者の方に声をかけられたときはパニックになって、これからどうなってしまうのか不安でした。でも妹は自分も精いっぱいのはずなのに何度も連絡をくれて『お姉ちゃんには“自分は自分”というものがあるから大丈夫』と励ましてくれた。すごく嬉しかったし、気持ちも楽になった。そのとき『お互いやるべきことをやっていこう』と誓ったんです」

 強い絆で結ばれた姉妹は、これまでも手を取り合って乗り越えてきた。実は、新井が中学生のとき両親は離婚。シングルマザーとして奮闘する母を助けるため、彼女はバイトを始めた。有村も高校時代に週6で掛け持ちしていたことを、かつて本誌は報じている。

「母は毎日、朝から夜まで働いていました。そんな姿を見ているうちに、私も頑張らなければと思いました。学校に通いながらパン屋さんやモデルのアルバイトで週5日ほど働いていました。妹も高校に入ると、バイトを掛け持ちしていました」

 そんな可愛い妹も、姉の後を追うように芸能界入り。高校2年で有村は家族と離れ、単身東京へと向かった。だが、それは自分の影響ではないという。

「妹は、私の後を追ってきたわけではありません。高校入学のころになって突然、『女優になる!』と言い出したんです。最初はびっくりしました。でも本当にオーディションを受けるというので、私と母が応募写真を撮ってあげました」

 姉妹が大阪と東京で夢に向けて奮闘する日々。だが、有村が13年に『あまちゃん』でブレイクを果たしていたころ、新井は引退を考えるほど自信をなくしていたのだという。

「このころは大阪での撮影モデルが中心で、東京の仕事も減っていて……。私は自信を無くしかけていました。母も心配して『他の仕事も考えてみたら?』と言ってくるように。それは“芸能の仕事をやるなら中途半端ではダメ”という叱咤激励だったのだと思います」

 そんななか、新井に転機が訪れる。昨年TSUTAYAプリンセス・グランプリに輝いたのだ。自分の道を信じてこつこつ積み上げた努力が、実った瞬間だった。

「私は16歳から大阪で撮影会や小さな広告モデルなどをやってきました。当時から支えてくれるファンもいるし、東京でもファンが少しずつ広がってきたんです。地道にやってきたことが結果につながったと思うと、すごく嬉しかったですね」

 妹の有村は『あまちゃん』以降も映画『ビリギャル』などヒットを連発している。人気女優となった妹を、彼女はどう見ていたのだろうか。

「嬉しいですね。私と妹とは仕事のジャンルが違うので、互いに“私は私”と思ってやってきた。だから妹がブレイクしても、あえて“有村架純の姉”と言うこともないと思って公表しなかったんです。これからもグラビアや雑誌の仕事はずっとやっていきたいし、女優業もオファーがあれば挑戦したい。実は、母親の夢が“姉妹共演”なんです。だからこれからも自分のできることを精一杯やって、いつか母の夢を叶えてあげたいと思います」

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