「私も歳をとりました。叶えられるものなら、生きているうちに明菜に会いたい……」

 こう悲願を吐露する、中森明菜(49)の父・明男さん(81)。6月10日は、明菜の“最愛の母”千恵子さんが亡くなってから20年目の命日。本誌が報じたとおり、千恵子さんの他界以来、明菜と家族は“断絶”したまま。明菜と実家の家族たちは、この20年間、一度も会っていない。だが今年、中森家に新たな動きが――。

「区切りの20年目の命日ですし、家族みんなで集まって、お母ちゃんの法要をやろうということになったんですよ。家族全員で相談するなかで、『明菜も誘おう。そこでみんなで話し合えたら、家族だもの、わだかまりもきっと解ける』って。それで、明菜に手紙を書こうということになったんです」

 その中森家“悲願の手紙”を、家族を代表して明男さんが書くことに――。ずっと音信不通の明菜に、明男さんはどんな手紙を書くつもりなのか。

「すぐには思いつきませんよ(笑)。なにせ、20年間も会っていない娘ですからね……」

 翌週、あらためて明男さんを訪ねた。はたして、手紙は明菜に届いたのか。そして、明菜は親族揃った“最愛の母の法要”に姿を見せたのか。

「残念ながら、明菜と会うことはできませんでした……」

 そう口にして、明男さんは肩を落とした。明菜は来なかったものの、家族みんなで千恵子さんの墓参をすませ、食事会もしたという。

「でも、みんな明菜の話題で持ちきりでしたよ。『会えなくても、明菜が元気でいてくれればそれでいい』と、きょうだいたちも最後は笑顔で言っていました。これであきらめてしまったら、すべて終わり。心が通じるまで、私はあきらめずに手紙を書き続けるし、これからも連絡が取れるように頑張っていきたいと思っています」

 和解の日はいつに――。

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