40人ほどの喪服の一団の先頭を歩いていたのは、タレント・小堺一機(59)。遺影を抱き、うつむくその表情は、いつもテレビで見せる明るい笑顔からは想像のできないものだった。
11月16日朝、小堺の実母・淑子さんが東京都内の自宅で亡くなった。享年80。通夜は18日、告別式は19日に西麻布の寺院で営まれ、その後、斎場で火葬された。
「マザコンじゃない人はいないんじゃないですか」
小堺は昔から、マザコンを自認していた。20歳で小堺を産んだ淑子さんは、かなり教育熱心だったという。その理由について、小堺は雑誌のインタビューでこう語っている。
「若い母親に育てられた子はこれだから駄目だと言われたくなかったみたいなんですね」
熱心すぎるあまり、手が出ることもあったようだ。小堺の額には、子供のころシッカロールの缶をぶつけられてできた傷も残っているという。いくら“体罰”を受けても、小堺がひねくれなかったのは、淑子さんが持つユーモアセンスゆえだという。また、ある芸能関係者は言う。
「小堺が小学生のころ、一家は浅草に引っ越しました。当時は邦画も全盛期で、小堺は両親に連れられて、大人が見るような映画もたくさん見たそうです。お母さんの淑子さんは、小堺の感想にもきちんと耳を傾けてくれたそうです。小堺はいまでは“映画好きタレント”としても知られ、その知識が仕事にも生かされていますが『どんな映画でも観られるようにしてくれた親には感謝していますね』とも語っています」
小堺が芸能界に進んだとき、淑子さんは猛反対したというが、息子は母への感謝を忘れず、インタビューではこんな言葉も。
「僕が話すことを仕事にしているのは、小さいころからの母親の影響が大きいのかもしれないななんて、あの母親の息子で良かったと思っています」
本誌が遺影を抱く小堺を目撃したのは19日、淑子さんを荼毘に伏すため、一行が都内の斎場に来たときのことだ。明るかった淑子さんの思い出を語り、ときおり笑顔になる親族がいるなか、小堺がずっと唇を真一文字に結んでいる姿が印象的だった。来年1月に60歳の誕生日を迎える小堺だが、最近ほかにも残念なことがあった。
「『ライオンのごきげんよう』が来年3月末で終了することが決まったのです。前身の番組と合せると、小堺は31年間出演していたことになります」(テレビ局関係者)
芸人への道を開いてくれた母への思いを胸に還暦で新たなスタートをきってほしい。