数えきれないほどのタレントたちの供花に囲まれ、写真のなかの志村和子さん(享年96)は微笑んでいた。志村けん(65)の母・和子さんが亡くなったのは11月23日。志村の故郷・東京都東村山市で26日に通夜、27日に葬儀・告別式が営まれた。“いちばんのファン”でいてくれた和子さんの遺体が実家に戻ってきたとき、志村は呆然としていたという。
「横たわっているお母さんの横で、『寂しいなあ』とつぶやきながら焼酎を1人で飲み続けていたそうです」(志村家と親交のある主婦)
26日の通夜で、志村はこう語った。
「(母には)基本的には『ありがとう』しか言うことはないですね。僕を産んでくれたことに『ありがとう』しかない……。お正月に(実家に)帰るたびに『(いい人は)いないのかい? 誰か』といつも言っていました。おふくろは『孫の顔見るまでは死なない』って言ってたんですけれど、僕はこのへんが本当に下手なもんでね。それだけはちょっと残念です」
‘02年、本誌『シリーズ人間』のインタビューに和子さんは、こう語っていた。
「孫は4人いるけど、やっぱりけんちゃんの孫を見たいですよねぇ……。カラオケの持ち歌は『二輪草』と『祝い時雨』で、けんちゃんの結婚式にそれを歌うつもりなのに、なかなか結婚してくれないのよね」
そして女性記者に、微笑みながらこう言ったのだ。
「けんちゃんと、いっしょになって……」
その言葉は和子さんなりのユーモアだったのかもしれないが、志村家の別の知人は言う。
「『康徳(志村の本名)の結婚相手に、いい人いないかねぇ』は和子さんの口癖で、それは数年前に腰を痛めて、歩くのが不自由になってからも変わりませんでした」
晩年は車椅子生活だった和子さん、それでも婚活は続けていたのだ。最後まで自分を心配してくれた母に通夜で志村はこんな言葉も漏らした。
「(天国の)いちばん特等席で、僕のことを見ているんじゃないですか。いちばんそばで……」