image

NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』がスタートした。物語は昭和5年、10歳のヒロインの小橋常子(高畑充希)が、“とと(父親)”を亡くすところから始まる。常子は父に代わって母親と2人の妹を守る“とと姉ちゃん”となり、出版社を立ち上げ一世を風靡する生活総合月刊誌『あなたの暮し』を出版する−−。

 

ヒロインのモチーフとなったのは、現在も刊行されている雑誌『暮しの手帖』を作った大橋鎭子さんの人生だ。’48年、“庶民が少しでも楽しく、豊かな暮しができる知恵がつまった雑誌を”と創刊された『暮しの手帖』。最盛期は発行部数100万部。約70年も読者に愛され続けるのはなぜか?当時、画期的だった記事の作り方について、編集部OBの小榑雅章さんに聞いた。

 

【1】年に1度は“大名旅行”

社員旅行は“金がかかってしょうがない”というほど、ぜいたくだった。30人ほどが参加するが、宿泊は一流ホテルで食事は鎭子さんお気に入りの名シェフのフルコース。

「一流を知らなければいい記事は書けないというのが編集長・花森安治さんの方針でした」

 

【2】常に“庶民派”であれ!

「作り手も読者も“みんな庶民同士、思いやりながら生きていこうじゃないか”という気持ちで作っていましたね。上から目線の原稿を書くと、容赦なく怒鳴られました」

アンケートはがきだけでなく、1千人の会員を組織し、使用中の電化製品や問題点など、あらゆる側面から声を集めて記事作りに反映させた。

 

【3】専用研究室で商品テスト

’54年に誕生した名物企画、さまざまな家電や家庭用品をメーカーごとに比較する「商品テスト」は、東麻布の暮しの手帖研究室で行われ、ピーク時には45人ものスタッフがいた。

「たとえばエアコンのテストをする場合は、1つのエアコンを3台も購入。いまのお金に換算すると、1つの企画に1千万円近くかけていたそうです。ベビーカーの耐久テストでは、赤ちゃんの体重の砂袋を乗せて100キロメートルも歩きました。徹底的に実験しましたから、メーカーからクレームはほとんどありませんでした」

 

【4】誰でもできる料理を

料理記事でも日曜大工でも、初心者が雑誌を見てまねできるものしか掲載しなかった。

「ふだんから料理をしていない男性スタッフが記事のとおりに作って、同じ味が再現できるかをチェックしていました。“小さじ1杯”や“ひとつまみ”なども、あいまいな個人の感覚にまかせないで、雑誌オリジナルのスプーンを発売してわかりやすくしました」

 

読者に豊かな暮しを送ってほしい−−。そんな思いが細部に込められていたのだ。

関連カテゴリー: