「楽しくなければテレビじゃない−−。そのキャッチフレーズで、フジテレビが軽いノリの職場だったと思う人も多いんです。しかし、私が印象に残っているのは、番組を作ることが心底好きな人たちが多くいたということ。そんな方たちには、楽しく育ててもらったというよりも、厳しく鍛えられたという気持ちのほうが強いです」
こう語るのは、’84年、フジテレビにアナウンサーとして入社した寺田理恵子(54)。『オレたちひょうきん族』の“2代目ひょうきんアナ”として人気を博した彼女が当時を振り返る。
「“初代ひょうきんアナ”の山村美智子さんが、新婚旅行に行くことになり、そのピンチヒッターとして1回だけ出たのが最初。入社してから6カ月間、アナウンサーとして仕事をしていない私にとって初めての番組でした。収録前、緊張しながら担当の故・横澤彪プロデューサーに『がんばります!』と挨拶に行ったら『がんばらなくていい。逆に変ながんばりはいらないから』と言われ、混乱したことを覚えています」
本番で寺田は、最初の自己紹介で自分の名前をかんでしまうというミスをしてしまう。
「撮り直しさせてくれるかと思ったら、そのまま最後まで。オンエアでは編集されているかと思いきや、やっぱりそのまま。度量があるというか、そんな失敗でさえ、面白ければ、生かす姿勢に共感はしましたが、アナウンサーとしてはそうとう落ち込みました」
その後、晴れて“2代目ひょうきんアナ”として正式に抜擢されたわけだが……。
「当時のアナウンス部は厳しい職場で『局の看板を背負っているんだ。言動に気をつけろ』とか『タレントとは違うんだ。勘違いするな』とよく言われました。一方で、横澤プロデューサーには『タレントなんか蹴飛ばしてしまえよ』とけしかけられるんです。もう少し、私が器用だったらよかったんですが……。『ひょうきん族』は、ミーハーなイメージがありますが、芸人さんたちは、裏ですごく練習をこなして本番に臨んでいました。面白い番組にするんだ、という熱意はスタッフにも強くあり、現場には、ピンと糸が張ったような緊張感も。そんな雰囲気に触れられたことは、私のその後の財産になりました」
フジテレビには、バラエティに限らず、徹底したプロ意識をもった“テレビバカ”が、いろんな制作現場にいた。『クイズ・ドレミファドン!』や『なるほど!ザ・ワールド!』を手がけた王東順プロデューサーもその一人だと寺田が続ける。
「とにかく収録現場の雰囲気を大切にする人です。衣装やセットにも細かい心配りを忘れません。とくにアナウンサーとして注意されたのが、視聴者参加番組など、一般の人がスタジオに入っている番組を収録するとき。まずは、お客さんに挨拶をすること。そして、愛川欽也さんなどのメイン司会者に、気持ちよく仕事をしてもらうことを考えるということでした。アナウンサーとしての技術ではなく、人間力を鍛えてもらいました」
それは、視聴者に伝わるのだろうか。
「視聴者の方は敏感です。出演者、スタッフが醸し出す温かい空気感はとても大切です。スタッフ同士の距離感もずっと近くなり、あんなことしてみよう、こんなことしてみようと、新たな提案がどんどん生まれてきます。そんな心躍るような気持ち−−。それが、もっとも得意なはずのフジテレビですから、これからに期待したいですね」