98年に『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)で1年3カ月にわたって“懸賞生活”を送り、一躍ブレークした、なすび(40)。故郷・福島の復興を願って13年からエベレスト登頂に挑戦してきたが、今年5月、4度目の挑戦でついに成功。“登頂報告会”にも引っ張りだこで、ついに経済的にも報われるのではと思われていたのだが――。
7月下旬、東京・世田谷区内の自宅に、なすびが自転車に乗って帰ってきた。自転車を停めたのは、とても芸能人が住んでいるとは思えない築45年のボロボロ木造アパートだった。
――エベレスト登頂、おめでとうございます。
「ありがとうございます」
――いま収入のほうは……。
「(登頂報告会も)ずっとボランティアでやってきたんで(苦笑)。むしろ、福島のみなさんが“せめて交通費もらってよ”とか言ってくださって。まあ、家族もいないし、生きていくには十分ですよ」
ならば昔取った杵柄(?)で、再び“懸賞生活”にチャレンジしては――。そう水を向けたとたん、なすびの表情が一変した。
「懸賞は……正直、トラウマになってて……。僕には辛いだけの生活でした。刑務所とどっち選ぶかと聞かれたら、どっちもまあ同じかなというくらい……(苦笑)」
これぞ「苦悶!」という顔で、なすびは言葉を続けた。
「エベレストに登っているときも、“辛いなあ”と思っても、“いや、懸賞生活のほうが辛かった”と思えて、それで次の一歩をまた踏み出せたというのが、実際にありました」
そう言うと、2度と戻りたくないと再び顔をしかめた。
「今後も、福島を盛り上げる何かを継続的に続けていこうと思ってます。エベレストを目指したのも、あくまでその手段のひとつなんで……」
極貧生活でも、なんだか輝いて見える、なすびだった。