「今日のモーツァルトの演奏はね、とても肩の力が抜けて、無欲でできました。かつてギャンギャンに練習していたころは、本番になるとコチコチになって指が動かないなんてことがあったのに。そう、私、『がんになってよかった』っていま、感じているんです」
今年5月4日、本誌のインタビューに満面の笑みで応えていた世界的なピアニストの中村紘子さんが、このときから、およそ2カ月半後の7月26日22時25分、大腸がんでこの世を去った。享年72。それは、夫の芥川賞作家・庄司薫さん(79)と祝った彼女の誕生日の翌日だった。
世間に突然の訃報がもたらされたのは7月28日の深夜。夫の庄司薫さんは中村さんの所属事務所を通じて、次のようなコメントを寄せた。
《誕生日(7月25日)をむかえる日も、このところみつけた、モーツァルトからラフマニノフまで、音色に新しい輝きを与える奏法を試すのだといって、興奮していました。ぼくも、それを聞きたいと熱望していました。残念です》
5月の公演後、中村さんが体調を崩し入院していたと語るのは所属事務所の関係者だ。
「25日の誕生日は、『病院はつまらないから』という中村さんのたっての希望で、庄司さんと愛犬のウリちゃんとでご自宅で過ごしました。そこで庄司さんが誕生日プレゼントとして、イヤリングを手渡したんです」
72歳の誕生パーティを“家族水入らず”で過ごした中村さんは、痩せてはいるものの非常に元気で、復帰後の夢などを打ち明けていた。9月も東京でトーク&コンサート「少女の頃の夢」が予定されていたが、翌26日に容体が急変。夫らに見守られながら静かに息を引き取った。
「ご葬儀は、28日にご自宅で、近親者のみで行われました。小ぢんまりとしていましたが、とても温かいものでした。中村さんは本当に柔らかい表情で、眠っているかのようでしたね。夫の庄司さんは気丈にされていましたが、『まさかこんなに早く逝ってしまうとは。とても寂しくなるなぁ……』とおっしゃっていました」(同・事務所関係者)
中村さんは生前、本誌にこう語っていた。
「今日、一生懸命練習すると、明日、必ずいいことがある。それがピアノです。がん闘病もそれと同じだと思う。今日より明日のほうが、きっといいことがあるって、私は信じて生きています!」
きっと天国でも、毎日ピアノに向かうことだろう。中村さんとの「お別れ会」は9月に行われる予定だ。