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芸能人の隠れた才能を査定してランキングする人気番組『プレバト!!』(MC:浜田雅功、木曜19時・MBS/TBS系全国ネット)。生け花や盛り付けなどさまざまなコーナーの中でも注目されるのが、夏井いつきさん(59)が講師を務める俳句だ。

 

助詞を一文字変えたり語順を入れ替えるだけで、芸能人の作品が見違えるような名句に変身する鮮やかな添削。一方、箸にも棒にもかからない駄作には、「つまらん!」「もう帰って寝なさい」と容赦がない。お笑い芸人やアイドルから芥川賞作家までバッサバサと斬りまくる痛快な辛口指導に、全国でファンが急増中だ。

 

俳人になる前の夏井さんは、中学校の国語教師だった。夏井さんが本格的に俳句と出合ったのは31年前、長女がおなかにいる産休のとき。書店でふと手に取った俳句雑誌への投稿がその始まりだった。

 

「句が入選して、黒田杏子先生が丁寧な解説を書いてくださったんです。本当にうれしくて弟子入りできたような気持ちになり、そこから真剣に俳句に取り組み始めました」(夏井さん・以下同)

 

俳句の道を選び、8年続けた教職を辞したきっかけは家庭の事情だった。教員の夫と2人の子ども。そこに姑と実母が同居する形になったのだ。

 

「舅が亡くなり、姑が老人性うつになってしまった。一方、一人暮らしだった私の母も脳腫瘍で手術し、後遺症が残ったので引き取ることに。この2人がどうしても合わないんです。帰宅すると、母がお仏壇の前であおむけになってワーワー泣いて、お姑さんが仁王立ちになって怒っている場面に出くわしたこともあります」

 

不安定な家庭環境にさまざまな要因も加わり、やがて夫もうつ状態に。繊細な長女も不登校になってしまう。

 

「これはもう無理だと、ひとまずお互いの親をそれぞれで面倒みることになりました。私は学校を辞め、俳句の仕事場のつもりで借りたアパートに、まず母親を移したんです」

 

朝は家で食事を作り、鍋に半分入れてアパートへ行く。仕事をしながら夕飯を作り、母親に食べさせて、残りをまた鍋に入れて持ち帰る日々が続いた。だが、夫から「家族から解放されたい」と言われ、結局、離婚に踏み切る。アパートに子どもたちを引き取り、母親と4人の生活が夏井さんの肩にのしかかった。

 

「離婚して突然、俳句で稼ぐしかないという窮地に追い込まれました。スケジュールが白いのが恐怖で。家賃が払えず出ていかなくてはいけない夢を何度も見ましたよ」

 

だが必死で働くうちに、道も開けてきた。学校を中心に句会ライブの声がかかるようになり、テレビやラジオの仕事も少しずつ増えていった。

 

「俳句を飯の種にしているという非難もありました。でも正岡子規だって寝たきりで俳句を詠み、母と妹を養っていた。私がここでひるむ必要はない。俳句の種まきを通して少しでも世間様のお役に立てるなら、胸を張っておカネをいただいてもいいんじゃないかと思ったんです」

 

こうした考えのもと、毎夏、全国の高校生グループが俳句日本一を目指して松山に集う「俳句甲子園」の立ち上げなどに携わって奔走する。やがてアパートも手狭になり一軒家を借りて移り住んだ。

 

「ところが私のおせっかいがまた始まって。俳句つながりで知り合った不登校の高校生の男の子に、つい『ウチ、一部屋空いているけど来る?』と言ってしまったんです」

 

アホですね。ハハハと、夏井さんは笑って続ける。

 

「でも子どもの顔を見たら、これはイカンとわかるんですよ。それに不登校って家庭だけで固まると、どうにもならない。外部の人間が入って風通しをよくしないと。私も長女が不登校で苦労したときに、誰か他人が関わってくれたら、と心底思いましたから」

 

その後も俳句を縁に、事情のある高校生が最多のときで3人も、松山市御幸町の自宅・通称「御幸ハウス」に居候していた。御幸ハウスでは句会や俳句誌の編集会議、その後の宴会などが頻繁に行われ、さまざまな「変わった」大人たちも出入りしていた。まさしく“風通し”のよい場所で、高校生たちは多くのことを吸収していく。やがて彼らも巣立ち、御幸ハウスは解散。夏井さんは俳句を通じて知り合った今の夫と再婚した。

 

俳句には人を救う力があると、夏井さんは信じている。

 

「俳号という架空の名前で、見ず知らずの人たちとつながり、自分を解放できる。認知症予防になるというデータもあります。すべてひっくるめ、俳句を使っていただくと、生きることが幸せになるんです」

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