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9月に手術を終え、10月初旬から自宅療養中の小林麻央(34)。現在は体にいい減塩料理中心の食生活に切り替えているが、そんななか目を引いたのがブログに掲載された義母・希実子さん(64)の手料理だ。10月17日には《大根は、主人の母が煮てくれました》と書かれている。この夜、ラジオ番組『NHKジャーナル』で希実子さんはこう語っていた。

 

「どうしてこうなのか。こんな間近に……。主人を亡くし、嫁もこうなるなんて。聞いたときは、ものすごくショックでした……」

 

2年前に麻央のがんを聞かされた衝撃について、初めて語ったのだ。13年2月には夫・團十郎さん(享年66)を“血液のがん”といわれる白血病で亡くしていた希実子さん。その悲しみが癒えぬ矢先の宣告だった。麻央も9月25日のブログで明かしている。

 

《「お母様にはなんて言ったらよいだろう。。。」1年半前に父團十郎を亡くしたばかりの母に、とてもでないけど、今度は私が癌だなんて言えないと思った。主人が電話をかけたら、主人の母は「私がなればよかったのに。。。!」と言った。その言葉のなかには、父を亡くした母の寂しさ、哀しさが同時に凝縮されているようで涙が止まらなかった》

 

市川海老蔵(38)から麻央を初めて実家に連れて行ったのは、結婚を決めた09年秋のことだったという。梨園関係者が当時を振り返る。

 

「その日は挨拶だけで、初めて食事したのは10年3月の入籍直後。そのとき麻央さんが『私、料理は得意じゃないんです』と言ったらしく、希実子さんは心配になったと聞いています」

 

結婚後には嫁姑の確執が報じられたことがあった。しかし実際は、希実子さんは麻央の成長を信じて疑わなかった。それは、自らも成田屋の嫁として苦労した過去があったからだ。希美子さんは團十郎さんと76年に結婚。だが当時、團十郎さんの両親は亡くなっていた。

 

「團十郎さんは味にうるさく、希実子さんが本を見ながら料理しても食べてくれませんでした。なぜなのかを考えては、また作る。やっと納得してくれた際、希実子さんは『これが代々引き継がれてきた成田屋の味なんだ』と喜んだといいます」(前出・梨園関係者)

 

義母に一から教えてもらうことが叶わなかった希美子さん。だからこそ、“料理が不得意”と言う嫁の麻央に対して「私が手取り足取り教えてあげなければ!」と意気込んだという。

 

「義母の苦労話を聞いた麻央さんは『お料理を教えてください!』と言い、自ら修業を志願したそうです。実際彼女はそれから希実子さんのもとへ通い、台所へ立つように。義母の作る料理を見ながらメモを取り、成田屋の味を覚えていきました」(前出・梨園関係者)

 

そんな成田屋の味を通して絆を築き上げてきた2人に待っていたのが、突然のがん宣告だった。だが麻央は病床にあっても、食事管理をしながら病気と闘っている。

 

「術後は減塩食が体にいいのですが、食事自体に制限はありません。むしろ次のステップに進むためには、しっかり食べて体力を十分作ったほうがいいのです」(医療関係者)

 

がんを克服しようと“食卓共闘”している嫁と姑。決死のサポートを続ける希実子さんには「もう最愛の家族をがんで亡くしたくない」という悲痛な思いがあるようだ。それは、10月14日に発売されたばかりの自著『成田屋の食卓』(世界文化社)でもにじみ出ている。

 

《麻央ちゃんの成田屋の味は野菜ですね。(中略)実はこの本を書こうと思ったのは麻央ちゃんに読んでもらいたいと思ったから。私がやることは歌舞伎の家のしきたりと料理を彼女に伝えること。そして、彼女がそれを次の世代に伝えてくれればいい》

 

生きて成田屋の味を次世代に伝承してほしい。そんな母の言葉を受け取った麻央。前向きなブログには「私が成田屋の味を伝えます!」という決意が込められているに違いない。

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