爆笑問題の太田光(51)の母・瑠智子さん(享年83)が、肺気腫による呼吸不全のため、11月8日午前3時58分に亡くなった。
瑠智子さんは、2年前の夏に道で転んで骨折をして入院。息子の自宅から15分の介護施設で生活していた。瑠智子さんの古くからの友人が、残念そうに振り返る。
「10月に施設でお祭りがあって、お母さんは車椅子でしたけど、中島みゆきさんの『糸』を歌っていました。私も『元気になったよ』と友人たちに報告したばかりだったんです。ところが7日に施設で尻もちをついて、入院。その晩はご飯もちゃんと食べて元気だったそうですから、未明のあまりの急変ぶりに施設の方もビックリしたそうです」
太田を少し丸顔にした感じの風貌だったという瑠智子さん。独身時代は女優を志し、劇団に所属していた時期もあった、と前出の友人は話す。
「『サザエさん』の波平の声をしていた故・永井一郎さんと親しかったんです。結婚前、夫と永井さんのどちらを生涯の伴侶にするか悩んでいましたよ」
瑠智子さんが結婚したのは、建設会社の社長だった太田三郎さん。ひとり息子の太田は生活全般に渡って母親任せで、自分では洋服も買ったことがなかったという。
「中学のとき、お母さんは光クンがあまりに言うことを聞かないから、玄関先で崩れておいおい泣いて見せたそうです。そうしたら光クンもひと芝居をうって。『泣くのはおよしよ。もうやめて、こっちへおいでよ』って手招きをして、お母さんを笑わせたそうです」(前出・別の友人)
女優志望だったお母さんの影響か、太田は日大芸術学部演劇学科に進学。その入試会場で相方・田中裕二(51)と運命の出会いを果たす。その後、大学を中退。田中とお笑いの新人コンテストに出場すると、その場で太田プロからのスカウトを受けた。
そんななか、下積み生活をしていたころに行った合コンで光代さん(52)と出会う。太田はそのまま彼女のアパートに居ついてしまい、お互いの両親に正式な紹介もしないまま、90年に結婚した。
「それでもお母さんはうれしかったんでしょう。光クンはとっても照れ屋だったので、結婚式も本人たちには内緒でセッティングして。お母さんのサプライズだったそうです。2人は普段着でジーパンかなんかで来てみたら、みんなが集まっていて、自分たちの結婚式だってやっと気づいたとか。お母さんは『うまくいった』と喜んでいました」(前出・古くからの友人)
太田がテレビに出ているのを見るのが好きだった瑠智子さん。三郎さんが11年に脳梗塞と心筋梗塞で倒れると、夫の自宅での介護は彼女の仕事になった。
「老々介護で大変そうでした。でもお母さんは、世に出た光君の足を引っ張ってはいけないと、ぐっと我慢して光君や光代さんには言わずに介護していました。“太田の親がああだこうだ”と言われたくなかったんでしょう。『私がいる間は施設に入れない。他人に面倒は見せられない』ってがんばっていました」(前出・古くからの友人)
12年に三郎さんを見送ったときには体はボロボロに。大腿骨や腕などいろいろなところを骨折して、『もう折るところはないぞ』と先生に怒られるくらいだったという。だが、それでも毅然とした態度は変わらなかった。太田は実母の最期をこう振り返っている。
《最後も荒い呼吸のなか、「苦しい?」と聞くと、大きく首を横に振りました。最期は静かで綺麗で鮮やかな死に様でした。不肖の息子にとって憧れの格好いい母です》
瑠智子さんはこれからも、天国から励まし続けてくれるに違いない。