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12月16日、自身のブログを5日ぶりに更新した小林麻央(34)。決して諦めない心を支えるものは何なのか。彼女は11月20日のブログで、叔父が亡くなったことを明かしている。

 

《先日、叔父が亡くなりました。これまで励まし合ってきたので、とても寂しいです。叔父は、最後に入院する前にも、「人生これから!」という題名のメールをくれました。そして、「まおに病気は似合わない。だから、絶対、大丈夫。」と、毎日、私のことを祈ってくれました。(中略)おじちゃんの祈りは、明日も明後日も、変わらず私の心に届いています》

 

人生を全うした叔父の突然の死。親族の一人は、本誌に「東京に住んでいた麻央ちゃんのお母さんの兄弟です。今年10月ごろにがんで亡くなったと連絡を受けました」と告白。そして、涙を浮かべながらこう続けた。

 

「それに……麻央ちゃんの母方のおばあちゃんね、16年1月上旬にがんで亡くなったんです。麻央ちゃんはおばあちゃんっ子でしたからね。だからこそ彼女は叔父さんの分、そしておばあちゃんの分まで必死に生きようとしているのだと思います――」

 

新潟県小千谷市に生まれ育った麻央は、幼少期に祖母の自宅で暮らしていたこともあったという。近所の住民は当時を懐かしそうに振り返った。

 

「麻耶ちゃんと麻央ちゃんは幼稚園のころまではこの地に暮らしていました。2人ともかわいくてね。お姉ちゃんは男の子みたいに活発で、妹の麻央ちゃんはおとなしいけど元気な子でした。そんな孫たちのことを、おばあちゃんはよく面倒みていました。そばにある神社に2人の手を引いて連れて行き、元気に遊びまわる姿を嬉しそうに眺めていました」

 

東京に引っ越してからも、麻央はよく実家に戻ってきていた。祖母は、そんな孫がキャスターになったことをとても喜んでいたという。そして麻央もまた、仕事が近くであるときは帰省することを忘れなかった。彼女はキャスター時代のブログでこう綴っている。

 

《祖母と駅で待ち合わせ 電車から降りてきた祖母が、「まおちゃんと一緒に乗ってきたんだよ」というので、なぬぬ!? 今会ったばかりなのに と思ったら なんと 祖母が乗ってきた車両に私のポスターがあったそうです》(08年10月3日)

 

そんな祖母だが、11年の震災を機に東京へ。親族によると、麻央の母が「一人だと危ない」と思い立ち、呼び寄せたのだという。

 

「ただおばあちゃんはずっと具合が悪く、東京に移ってからは入院が続いていました。昨秋には体調が悪化したため、青梅市のがん施設へ移ったと聞いています」(前出・親族)

麻央のがんが発覚したのは、2年前。祖母が施設に移ったころに彼女もがんと戦っていたことになる。亡くなるまで病と戦い続けたという祖母の姿は「がんに負けない!」という思いを、麻央に誓わせたことだろう。

 

「葬儀は1月下旬に東京で行われました。お父さんとお母さんと麻耶ちゃんは参列しましたが、麻央ちゃんは参列できなかったそうです。でも天国のおばあちゃんは麻央ちゃんを見守ってくれている。だから彼女も前を向き闘い続けているのだと思います」(前出・親族)

 

16年9月にがん闘病ブログを始めた麻央。10月26日には、こう綴っている。

 

《私の生まれた新潟は、枝豆が美味しいので、祖母がいつもたくさん茹でてくれました。枝豆を食べていると、小さいときの自分を思い出します。「ふるさと」の感覚は祖父や祖母が教えてくれたのだなと感じます》

 

亡き祖母との思い出を胸に、麻央は今日もがんと戦い続けている。

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