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「私は父を病院で亡くしてるので。病院のときとは違う、家族の中で、家族と共に一緒に居られた時間というのは、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います」

 

会見で夫の市川海老蔵(39)は涙ながらにそう語った。

 

小林麻央さんが逝ってしまった。まだ34歳。7月21日の誕生日は目前だった。6月22日夜、海老蔵に、長女・麗禾ちゃん(5)と長男・勸玄くん(4)。そして麻央さんの両親と姉・麻耶(37)。愛する人たちに見守られて、麻央さんは静かに息を引き取った。

 

今年1月に一度は退院するものの、4月22日に容体が悪化し、緊急入院した麻央さん。市川家に近い知人は「こどもの日までには退院したいというのが麻央さんの希望でした」と言う。だが、容体は日に日に悪くなった。

 

「ゴールデンウィーク中にも、麻央さんは危篤状態に陥ったそうです。すぐに、家族全員が病院に呼び出されました。呼ばれるということは“最悪”を覚悟せよということです。團菊祭の真っ最中だった海老蔵さんも飛んできたそうです」(前出・知人)

 

“ママ”“麻央”。それぞれの言い方で、家族は麻央さんを呼び続けた。そして、呼びかけに応えるように彼女は再び目覚めた。

 

「麻央さんの容体が安定し始めたんです。もう一度、海老蔵さんや子供たちと一緒に暮らいて、生きていきたい。そんな強い思いで、麻央さんは持ち直したに違いありません」(前出・知人)

 

「家に帰りたい」。意識を回復した麻央さんは強くそう希望していた。快適でも病室にはない家族の温もりが自宅にはあった。

 

「いつ危篤になってもおかしくない状態でしたが、麻央さんは懸命に耐えた。比較的容体が安定し、5月29日に帰宅することがかないました。海老蔵さんが迎えにきて、仲よく帰っていったと聞いています」(医療関係者)

 

「家族といたい!」。麻央さんの強い思いが奇跡を生んだ。退院して1カ月、麻央さんにとって、苦しくとも幸せな日々だった。子供たちにとっても夢のような時間だった。遠くから子供たちの声が聞こえてくる。部屋にやって来ては、新しい宝物を見せてくれたり、足をさすったりしてくれる。朝、麻央さんの容体を主治医に報告するのは海老蔵の仕事だ。舞台や稽古を終えて帰宅すると、真っ先に麻央さんの顔を見に来る。はかなくも幸せな時間だった。

 

「がんの顎への転移のために、しゃべることがつらく、筆談をしなければならないことも多かったそうです。自宅の中を移動するときも車椅子に頼っていました。想像を絶するような苦しい闘病でしたが、家族の側にいれて、麻央さんは本当に幸せだったそうです」(歌舞伎関係者)

 

だが、6月22日の夕方に容体が急変する。義母は海老蔵に連絡するが、稽古の真っ最中だった。稽古後に連絡に気付いた海老蔵は家に急いで飛んで帰ると、麻央さんは帰りを待っていた。

 

「愛している」

 

いまわのきわ、麻央さんは海老蔵にそう伝え、旅立っていった。麻央さんの家族愛が生んだ奇跡の1カ月は子供たちにとってかけがえのない宝になった。

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