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「『紅白歌合戦』に出場できることを、さっそく兵庫県の実家で暮らしている父と弟に報告したのですが、最初は『またまたぁ~』とか笑って、全然信じてくれなかったんです。本当のことだと理解してもらうまで、すごく時間がかかりましたね(笑)」

 

そう話すのは、今年12月31日に放映される『第68回NHK紅白歌合戦』への初出場が決まった丘みどり(33)。丘は民謡教室での稽古の成果により、11歳のときに初めて出場したコンクール「兵庫県日本民謡祭名人戦」で、見事優勝。その後も数々のコンクールで優勝を果たし、「民謡の天才少女」と呼ばれるように。だが……。

 

「演歌コンサートに親しんでいたこともあり、自然と『将来は演歌歌手になりたいな』という気持ちが芽生えてきました。でも、どうしたら演歌歌手になれるのかわからなくて……。近所の書店でオーディション情報雑誌を買って、表紙をめくってすぐのページに掲載されていたオーディションに応募することにしたんです」

 

地元の高校を卒業後、アイドルグループ「HOP CLUB」のメンバーとして芸能界デビューすることに。

 

「漠然と想像していたのとは違い、歌のお仕事よりも、バラエティで体を張るようなお仕事が多かったですね。バンジージャンプをしたり、警察犬に追いかけられてプロテクターをつけた腕にかみつかれたり……。もちろん最初は楽しんでいましたが、『あれ? 私、本当は演歌を歌いたかったはずなのに』と、自分の夢を思い出しました。アイドル活動をやめ、所属していた大阪の事務所に紹介してもらい、音楽の専門学校で基礎から勉強し直すことにしたんです。母は、『仕事を途中で投げ出すなんて』と、怒っていましたが、結局は専門学校の費用も出してくれました」

 

その後、カラオケ番組に出演したことがきっかけでスカウトされ、念願の演歌歌手として再デビューすることができたのは’05年、20歳のときだった。

 

「デビュー曲は『おけさ渡り鳥』。夢心地でしたが、なかなか思うようにはいきませんでした。『これ、衣装ね』と、差し出されたのは、ミニスカートでおヘソも出ている、すごく露出が多いものでした。演歌といえば着物と思いこんでいましたから、ショックを受けなかったといえば、ウソになりますね。その衣装を着て、イベントや営業に行くのですが、新人なので、お客さんは5人だけ、といったこともしょっちゅうです」

 

感想も歌よりも衣装のことばかり。

 

「『演歌をそんな衣装を着て歌うなんて、バカじゃないか!』と、言われて悲しい思いをしたこともありました。4歳年下の弟も友達に『お前の姉ちゃん、ヘソ出して演歌歌ってるやん』と、いじめられたそうで、申し訳ないやら、恥ずかしいやら……。正直、続けていくのは厳しいと思いました。ストレスで過食気味になって、いまより10キロも太っていたんです」

 

そんな丘をみまもりながらも、叱咤してくれたのが’06年に他界した母だった。

 

「『あなたが選んだ道なんだから、文句ばっかり言わずに、もっと一生懸命に歌のレッスンをしなさい! プロとしての意識が低すぎる。『やらずに後悔』よりも『やって後悔』の人生を送りなさい』。そんな母のことばで、私は踏みとどまることができたのです」

 

’16年、丘は所属事務所を移籍し、活動拠点を東京に移した。するとキングレコードから発売された移籍第1弾シングル『霧の川』が7万枚を超えるヒットを記録し、オリコン演歌ランキングで1位を獲得。今年11月には、有楽町・よみうりホールで、ファーストコンサートも開催。そして、芸能界デビューから15年でついに夢舞台への出場が実現した。

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