image

 

STAP細胞発見の報道から、気づけば4年。最近はニュースでも見かけなくなった元理化学研究所(以下理研)研究員の小保方晴子さんですが、3月25日に処女作から約2年ぶりの手記を出版。今回は理研でのSTAP細胞騒動終焉後の、2014年12月以降の小保方女史の日常が、日記として綴られています。

 

騒動後も彼女の生活は“平穏な日々”ではなく心身を崩し、マスコミに追われ、刑事告発があり、また在学していた早稲田大学からは博士号を剥奪。その際の苦しい心中が、表現力豊かに語られています。

 

本作の内容はSTAP細胞騒動後に起きた出来事に関する記述も多いのですが、主だった内容は彼女の生活からの視点。傷つきながらも立ち向かおうとして、心を折り、また立ち直ろうとする。まさに三歩進んで二歩下がる姿が描かれています。

 

センセーショナルな割烹着姿の女性がさまざまな“進化”を遂げたのも衝撃ですが、今思えば彼女はなぜ彼女はスターとなってしまったのか。本書を読みすすめながら、研究者としての側面以外の彼女の顔を考えてみたいと思います。

 

■精神疾患者の日常と回復状況としての有用性

 

読み進めていちばん最初に感じたことは意外にも彼女の素顔ではなく、本書の有効性です。本書は”STAP細胞の騒動後に起きたことを当事者が語る”という特筆性を脇に置けば、精神疾患を患った女性の”ある程度の回復”までの記録として読むことができます。

 

2015年の1月はマスコミからの逃亡劇のなかひたすら泣き、絶望し続けている。と思ったら2月にはクスリの効果なのか食欲に振り回される記述が増え、勉学への意欲をほんの少し取り戻します。そして3月になると涙し絶望しながらも、パン作りや料理にいそしんだ記録が目に入ってきます。

 

その後は出来事とあわせてまた絶望の淵に立たされたり、少し回復したり、パニックが起きたりと状態に波があります。診断による鬱とPTSDがどのような事象によってどう変化を遂げるのか、そして後半の回復がどんなキッカケから生まれたかがよく理解できます。

 

当事者としてはどれも絶望や混乱に変わりないのかもしれません。ただ鬱や精神疾患を体験したことのない人にとっては、心の変化と心身の変化が比較的わかりやすく書かれているので理解の深まる内容かもしれません。

 

■強い「わかってほしい」が原動力でありトラブルの元凶か

 

STAP細胞騒動の中心人物とはいえ、彼女がなぜここまで“渦中のスター”として扱われたのか。そこには若い女性研究者だったからということ以外にも、注目されるべき理由があったように思います。1つは多くの人が感じているであろうビジュアル面での異質さです。

 

STAP細胞での釈明会見では、7万6,000円のバーバリーのワンピースを着用し、その後の対談では11万6,000円のレッドヴァレンティノのワンピース。そして週刊誌のグラビアに登場した際はグッチの21万3,840円のワンピースと、衣装も見た目もランクアップして私たちの前に現れました。

 

研究者という立場よりも感じる“オンナ”の側面は、間接的に研究者としての説得力を減退させ不謹慎な側面にばかり注目を集めるような作用がありました。

 

「なぜわざわざ自分から話題を振りまくのか」と思う人も多いかと思いますが、本書を手にとるとその理由が少しわかる気がします。彼女の原動力は研究したい学びたいという気持ちの前に「私をわかってほしい」という気持ちが強くあり、同時に“行動のちぐはぐさ”があるのです。

 

たとえば通院している病院の先生に「本が出たら大きな反響がある」としてしばらく病院に来ないで欲しいと告げられた際、彼女は本書に「見放されたような気がいて、すごく寂しかったのに、また笑ってしまった」と綴っています。

通院し続けたいという気持ちを明確に持っているのに、先生の指示に素直に従ったような記述がありました。

 

他にも出版にあたり打ち合わせをした際、同席者が世間の悪口や業界の噂話を“笑い話”として出した際、彼女は心の中で「慣れていない」と感じまた疲労感を覚えていたようです。ただこれも本人に伝えることはなかったようです。

 

こういった我慢してその場をやりすごしたという記述が、本書では散見しています。主にその対象は心を許していない相手に対して行うようですが、ちょっとした本音を我慢して裏で辛くなるのは“本音が伝わらないことによる状況悪化”を起こしかねません。見方によっては被害者意識が強い人とも捉えられます。

 

思ったことを何でも伝えるのも問題ですが、こうして文字として改めて綴るところからも「本心をわかってほしい」という気持ちの強さがあるのでしょう。研究者として理解されるよりも、自分をわかってもらうことを優先した結果が、ふるまいや見た目の異質さに、つながっているのかもしれません。

 

「シャッター音がなるたびに、自分の(命の)ロウソクに火を分けられているように感じた。(中略)もう私の火は揺らいでいない、そう思った時に、最後のシャッター音が聞こえた。写真にうつる女性を見て、この人の火はきっとドラマティックに燃え続ける、ロウソクが尽きるまで火が消えることはないと信じることができた(中略)。私は分けられた火をまた誰かに分けながら生きていく」

 

本書出版の際に撮影に望んだときのことを、あとがきにかえた日記として、彼女はこう綴っています。

 

前作では今でも実験をしている夢を見る。涙が勝手に込み上げてくる。と書いた彼女が、2年の時を経てどう変化し、そしてどう進化していくのか。“ドラマティックに燃える火”が彼女の身を焦がさず、幸せの炎であることをまずは願いたいです。

関連カテゴリー:
関連タグ: