本誌の取材に亡き父への思いを語った政宏。 画像を見る

「父の体調が急激に悪くなったのは、1カ月くらい前だったと思います。……そうですね、私たちも完全に覚悟は決めていました。“父はもうすぐ逝ってしまうのかな”という感じでした」

 

そう語るのは、故・高島忠夫さん(享年88)の息子で俳優の高嶋政宏(53)。政宏が本誌の独占取材に答えてくれたのは、高島さん逝去の翌々日、6月28日。

 

「最後に僕が父と会話を交わしたのは、亡くなる5日前の6月21日のことです。最近の父は眠る時間も長くなって、ずいぶん痩せてしまっていました。固形物も受け付けなくなっていたので、流動食や栄養剤で、なんとかもっている感じでした。でもその日は元気で、『シャンパンとローストビーフを食いたい』と言っていました。僕も『ダメだよ、食べられないよ』なんて言い返したのが、最後の会話になりましたね」

 

自宅で最期を看取ることを決めたのは、妻・花代さんだったという。

 

「具合が悪くなるたびに入院はさせていたのですが、母が『ずっと病院にいるのはかわいそうだ』と言って、家での介護を続けてきたのです。介護スタッフが24時間ついていましたし、僕らも父への恩返しというわけではないですけれど、実家に行って様子を見たり介護のサポートをしたりといった日々を続けてきました」

 

高島さんが、いま自宅が建っている場所に、地所を購入したのは、もう60年近く前のこと。花代さんも家族の思い出が詰まった家で、夫に最後の日々を過ごさせてあげたいと考えたのだろう。

 

花代さんの様子について、政宏が続ける。

 

「自宅で看取ったわけですから、翌日の密葬も自宅で行いました。落ち着いていたように見えた母ですが、やはり父を失ったのはつらかったのか、火葬場には来なかったんです。『火葬場には行けない、行きたくない』と。『(亡骸を)焼くのは、物質的なことにすぎないから。お父さんとは気持ちと気持ち、心と心がつながっているのだから、家でお父さんのことを思っている』、そんなことを言っていましたね」

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