3月末をもってジャニーズ事務所から退所することを発表した中居正広(47)。最近の中居の退所への決意は非常に固いものだった、とテレビ局関係者は言う。
「それはこの2年間、彼が新たなCMに出演していないことでも明らかです。CMは年間契約が多く、期間中で退所ともなれば、影響も波紋も大きい。もちろんスポンサーにも迷惑がかかります。身動きが取れなくなってしまうことを恐れ、新CM出演を拒み続けてきたのです」
決断の大きな引き金となったのは昨年7月の“育ての親”ジャニー喜多川氏(享年87)の死だった。
「中居さんは“自分のトークを生かせる仕事以外、モチベーションが上がらない”と周囲に明かしているほど、MCなどのトークの仕事に非常に重点を置いています。そのトーク力を15歳のときに見い出してくれたのが、まさにジャニーさんでした。中居さんは、30年間かけて、トーク力を磨いてきたんです」(制作関係者)
そのジャニーさんが心を痛めていたのがSMAP解散騒動だった。
「当の中居さんが、思い悩むジャニーさんの姿をすぐそばで見ていたわけですからね。昨年6月、ジャニーさんがクモ膜下出血で倒れ、入院。亡くなるまでの20日間、中居さんは毎日仕事の合間を縫って病室を訪れ、ジャニーさんを励まし続けたんです。病室で先輩や後輩と話すこともあり、ジャニーさんや事務所への感謝の気持ちを再確認するとともに“引き際”についても気持ちがハッキリ固まったと聞いています」(前出・制作関係者)
そんな彼の唯一の心残りがKis-My-Ft2のことだった、と中居の知人は打ち明ける。
「11年にデビューしたキスマイですが、当時のSMAPのチーフマネージャーが手がけていたこともあり、中居さんとはデビュー直後から番組共演が多かったんですね。中居さんは以前から『俺らを超えるグループになれ!』と話していました。13年には、後列の4人が脚光を浴びるようプロデュース。自ら『舞祭組』と命名したんです」
中居はキスマイのメンバーの兄弟を連れて福島へ旅行に行ったり、定期的に自宅に招いたりするほど彼らをかわいがっていた。
「SMAP解散後の18年1月に行われた舞祭組のコンサートに中居さん自身がサプライズ出演。解散後、中居さんがステージで踊った最初で最後となったんです」(前出・知人)
しかし、これだけ親身になっていたキスマイのメンバーたちにも、中居は自分の連絡先をあえて教えていなかったという。
「実は昨年に入ってから、中居さんは目に見えてキスマイの面々と距離を置きはじめました。昨年2月、キスマイのメンバーがコンサートツアーの演出を中居さんに直談判したことがあったんです。でも中居さんはそれを断った。『もう自分たちでできる実力があるだろう。俺がずっとジャニーズにいるかわかんないし』。ハッキリそう告げたそうです」(前出・知人)
自分がいなくなった後も、ほかの先輩たちとも交流して吸収していってほしいという願いから、あえて距離を置いたのだという。それから1年。ついに中居は34年間在籍したジャニーズ事務所を辞める決断をした。
「記者会見を21日にしたのは、木村拓哉さん(47)の初のソロツアーが20日まで行われていたため。それが終わるのを待ったそうです。木村さんもまた、20日の最終日にはSMAPの『俺たちに明日はある』を歌い、ひそかに中居さんへエールを送っていました」(前出・テレビ局関係者)
退所会見の約1週間前の2月12日、中居はある劇場に足を運んでいた。
「実は舞祭組のメンバーが出演する舞台をお忍びで観劇していたんです。後方の席で見守り、終演直後にひっそり会場を出ていました。中居さんは2月になって、3日間に分けて、キスマイのメンバーたちと直接会って、自分の口から退所の意思を伝えたそうです。その席で『ジャニーさんのためにも、お前たちはSMAPを超えてほしい』という思いを熱く語ったといいます」(音楽関係者)
「世界に通用するスターになれ」。それがジャニーさんの教えだった。その遺志を伝えていくためにも、ジャニーズの後輩を思う気持ちは退所後も変わらないことだろう。
「女性自身」2020年3月10日号 掲載