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志村けんさん(享年70)の通夜、告別式は4月11、12日の両日で、近親者によって営まれた。「お別れの会」は、「新型コロナウイルスに関連する一連の状況が収束したのち」に開くという。国民的コメディアンの突然の死は、お笑い界の大きな痛手だ。

 

2日、ナインティナインの岡村隆史(49)が、パーソナリティを務めるラジオ『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、志村さんへの感謝を述べた。

 

「僕がバラエティ番組でやる動きや表情は、ほぼほぼ志村さんのコピー。パクリに近いと思います」

「岡村隆史という人間の7割が志村さんで構成されている」

 

志村さんと岡村は公私にわたって親しかった。

 

「実は、あの志村さんにも低迷期がありました。『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)終了後の’90年代後半は、ゴールデンタイムのレギュラー番組がなくなり、『志村けん死亡説』が流れたこともあったほど。その低迷期を脱する契機となったのが、岡村さんがバラエティ番組で連発した志村さんの『アイーン』だったんです」(演芸関係者)

 

自身の冠番組で「お笑いの教科書」だった志村さんをまねて、「アイーン」を繰り返した岡村の活躍で、本家・志村さんの人気は再燃。再びお笑いの第一線に復帰した。

 

「岡村さんにも芸能活動を休止した時期があります。10年前、体調不良で、半年間の活動休止でした。本人自ら『地獄を見た』という入院療養中、心配した志村さんから彼に電話が入ったそうです。志村さんは彼の心の叫びを、ずっと聞いてくれたそうです。それが心の支えになったと岡村本人が言っていました」(岡村の知人)

 

“相思相愛”だった2人。何度も食事をともにし、笑いについて語り合ってきた岡村は、ことあるごとに、バカ殿の後継者として立候補していたようだ。

 

「6年前、芸人6人で慰安旅行に行く番組の企画でのこと。温泉に入り、酒が入った席で、岡村が志村さんに『どうすんですか? 死んだら。バカ殿とかやっぱり誰かが残していかないといけないじゃないですか』『バカ殿、終わらすんですか?』と、矢継ぎ早に詰め寄っていました。ふだんから、岡村は志村さんと会うと必ず、このことを聞いていたみたいです」(テレビ局関係者)

 

同年11月の『ウチくる!?』(フジテレビ系)でも、VTR出演した岡村は、ゲストの志村さんに、「“バカ殿”は誰が継ぐのか。変なおじさんは誰が継ぐのかということを遺書に残しておいていただきたい」と、懇願している。

 

しかし、志村さんは岡村の度重なる懇願にもかかわらず、首を縦に振ることはなかったという。インタビューでこう語っている。

 

「(岡村には)『そうはいかねえよ』と返している。俺のマネをしてもしょうがない。超えなきゃ意味ないから。岡村には、『おまえはコントをやらないからキャラができないんだ』って言ったけど、コントって結局、それが大変だから、若いやつはやらないんだよね」(『報知新聞』’14年6月17日付より)

 

岡村のさらなる飛躍を期待して、志村さんは愛のむちを振るったのだ。そんな志村さんが晩年、気に入っていたのが千鳥の大悟(40)だった。’16年の『志村けんのバカ殿様最新作 笑いの金メダルSP』で初共演し、翌年3月の『志村けんのだいじょうぶだぁ ドリフみんな大集合SP』(ともにフジテレビ系)に出演した大悟。

 

「千鳥のトークコーナーを見て、志村さんは、昔の芸人のような荒っぽい雰囲気に加え、自分を作っていない大悟を気に入り、収録後、飲みに誘ったんです。そこで意気投合して、それからは週3回、一緒に飲む仲になっていました。以来、もう“愛弟子”ともいえる関係になりましたね。ある日、志村さんは笑いながら『俺が死んだら、おまえがバカ殿をやったらいい』と言っていたほどなんです」(テレビ局関係者)

 

志村さんは大悟に、自分と同じにおいを嗅ぎ取っていたのだろう。

 

「大悟さんは『バカ殿は志村さんのものですから』と断っていましたが、亡くなって『志村さんが天国で笑ってくれるなら……』という気持ちも出てきているようです。フジテレビも志村さんが遺した国民的キャラクター『バカ殿』をこのまま終わらせたくないようです。二代目を継ぐ可能性があるのは、志村さんが心からかわいがっていた岡村さんか大悟さんの2人しかいないと断言できます」(前出・テレビ局関係者)

 

バカ殿が愛すべき後輩に受け継がれることを、天国の志村さんもきっと、喜んでいるはずだ――。

 

「女性自身」2020年5月5日号 掲載

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