「いまさら私が何を話しても仕方がないでしょう……」
――生前の春馬さんとお父さんの関係も悪化していたという報道もあります。私たちはそうではなかったと伺っているのですが?
「……春馬との関係はよかったと思っています。“20年ぶりに再会した”と、報じられていますが、彼が芸能界デビューした後は、ときどき連絡はもらっていました。春馬の活躍ぶりはずっと楽しみでしたし、私の生きがいでもありました。実際に会うようになったのは2~3年前ですね。私が入院したときにお見舞いに来てくれて……。
手術がうまくいって元気になった後には、いっしょに食事をしたり、酒も飲んだりするようになりました。春馬もけっこう酒量は多かったですが、そんなに酔っ払うタイプではないし、飲んだ後は、きちんと電車で東京に帰っていきましたよ。
ふだんはLINEとかで連絡を取り合っていて、実は亡くなる2週間前にもメッセージをやりとりしていました。近いうちにこちら(茨城県)に来るから、と言っていたのに……。それが最後のやりとりになってしまいました」
故郷・茨城での“父子酒”の約束は果たされなかったのだ。
――春馬さんの様子に変わったところはなかったのでしょうか?
「それはねえ、皆さんと同じで、なんであんなことになってしまったのか、全くわからないんです。会っていたのだから、もし何か気が付いていたら、もちろん力になっていたでしょうが、そんな兆候はいっさいなくて……。本当に突然のことで呆然としてしまって、気が抜けてしまったままで、いまになってしまったという感じです。それに原因を追究したとしても、もう息子は戻りません……」
――遺骨は春馬さんのお母さまがお持ちなのですか?
「そうですね。お墓とか偲ぶ会とかについては、(春馬の)所属事務所さんにも相談に乗ってもらっているようです。遺産相続の話し合いが長引いている? でも私自身は息子の遺産はまったくあてにしていません」
復活した父子の会話のなかで、実母についての話題がのぼることもあったようだ。
「この数年、(春馬は)母とは折り合いが悪く、本人も悩んでいるようでした。いくら母と子といっても、お金のことやら何やらで、もめていると聞いて、私も心配はしていたのですが……。
もうこれ以上お話しすることはありません。いまの私の願いは、春馬の墓がどこかに建てられて参ることができるようになること。そして、コロナのために延期になってしまいましたが、仲よくしてくださった方やファンの方のためにも偲ぶ会が開催されること、その2つだけ。これからの私は“春馬のいない残された時間”を、ただ生きていくだけです」
実父・Aさんは、まるで春馬さんの面影を探すように空を見上げると、記者に小さくなった背を向けて黙って歩き始めた――。
「女性自身」2020年12月22日号 掲載