「一生懸命育ててくれた」小松政夫さんと植木等さんの親子愛
画像を見る 植木さんが亡くなったときも、小松さんは愛を感じたという。

小松さんが植木さんの付き人を務めたのは、3年10カ月ほど。しかし独立以降も、植木さんが07年3月に亡くなるまで交流は頻繁に続いた。“親子愛”でもある師弟愛は40年以上も築かれたという。

 

「植木さんは周りに『小松はなかなか面白いんだ』と、小松さんの知らないところで宣伝してくれていたそうです。また2人が出会ってから30年ほどしてから、植木さんは小松さんの名前の入った“のれん”をプレゼントしました。その文字は植木さんによるもので、何十枚も練習して書き上げたと聞きます。それほど愛情が深かったのです。

 

小松さんはいつでも植木さんを『喜ばせたい』という気持ち一心だったといいます。付き人時代は献身的に身の周りのことをしたり、いっぽうでパンツを脱いで洗車をして笑かしたり。ですが一番植木さんが喜んでくれたのは、テレビなどを通して小松さんの活躍ぶりを観ることだったといいます」(テレビ局関係者)

 

植木さんが亡くなったときも、小松さんは愛を感じたという。

 

「ちょうど名古屋で舞台をしていたときに、『植木さんが危ない』との連絡が入ったそうです。息を引き取る瞬間にはほんの数分で間に合わなかったそうですが、植木さんの奥さんは『アンタを待っててくれてたんだよ』と。そのことで、小松さんは植木さんからの最後の愛を感じ取ったといいます。

 

晩年、小松さんは『芸人という言葉は好きじゃない。コメディアンが今の時代にはいない』と嘆いていました。それは日本喜劇人協会の会長を務めていたからでもあるのでしょうが、やはり植木さんがコメディアンという肩書を大事にしていたからです。そうして植木さんの遺志を継いでいくことこそ恩返しだと小松さんは考えていたそうです」(テレビ局関係者)

 

固い絆に結ばれていた小松さんと植木さん。今ごろ、久しぶりの再会を喜んでいることだろう。

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