平野紫耀 夢はグラミー賞!語っていたキンプリ世界進出の悲願
画像を見る ジャニーさんの悲願を実現すべく、平野の“覚悟の日々”は続く――。

 

■ステイホーム中に英語教材を大量注文

 

’19年5月、平野はインタビューでこう語っている。

 

《社長が生きているうちに、僕らが海外進出した景色を見せたい。ジャニーさんは第2の親でもあるので、親孝行ですね。そのためには、もっとスキルを磨いて、誰からも認めてもらえるようなグループにならないと》(『日刊スポーツ』より)

 

ジャニー喜多川氏はこの発言の約2カ月後に他界。平野は願いをえることはできなかった。

 

「ジャニーさんは、世界に通用するエンタティナーを育てることに生涯をささげました。キンプリは、ジャニーさんの下でデビューした最後のグループとなったのです。

 

平野さんは学生時代にイギリスに短期留学の経験があります。コロナ禍のステイホーム中は、英語の教材を大量注文し『自宅で英語の猛勉強中!』と話していました。

 

ジャニーさんの遺命を胸に、キンプリの世界進出を現実のものとするために、まずはソロ活動と英語に励むよう、メンバーを鼓舞しているといいます」(音楽関係者)

 

5月にはキンプリとして7枚目となるシングルも発売される。ジャニーさんの悲願を実現すべく、平野の“覚悟の日々”は続く――。

 

「女性自身」2021年4月13日号 掲載

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