’64年のドラマ版『愛と死をみつめて』(TBS系)に始まり、数々の名作ドラマを残して、この世を去った脚本家の橋田壽賀子さん(享年95)。生涯“女性”を描き続けた姿を本誌秘蔵写真で振り返るーー。
【’68年】
朝ドラ初のカラー作品『あしたこそ』主演の藤田弓子と43歳の橋田さん。
【’81年】
大河ドラマ『おんな太閤記』放送を機に、橋田さんを本誌が密着取材。
【’83年】
国民的ドラマ『おしん』はアニメ版も制作。泉ピン子、小林綾子と。
【’84年】
『大家族』(TBS系)では3世代で同居する家族の嫁姑問題を描いた。
【’85年】
大河ドラマ『いのち』の制作発表会で主演の三田佳子と仲よく歩く姿。
【’88年】
大河ドラマ『春日局』の撮影現場で佐久間良子と語らう橋田さん。
【’90年】
この年から始まった『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)は’19年まで新作を放送。
【’93年】
『渡る世間は鬼ばかり』のメンバーで「橋田ファミリーの会」を開催。
【’93年】
第1回橋田賞の受賞パーティで“両手に少年隊”の橋田さん。
【’10年】
『渡る世間は鬼ばかり』の最終シリーズの制作発表会。
【’18年】
第26回橋田賞の授賞式にて。新人賞の有村架純、竹内涼真の姿も。
「『なんで“うちの家”のことをそんなによく知っているんですか?』と、(視聴者から)よく言われるの」と、テレビ番組のインタビューで語っていた橋田さん。
「それはひとえに、ご自身の日常や経験、思いをドラマに込められてきたからでしょう。毎朝、新聞の投稿欄をじっくり読み、庶民の暮らしを脚本に生かすことでも知られていました。有名な長ゼリフは、家事に勤しむ女性たちにも、ドラマを耳で理解してもらうため。『二流で結構!』との自負もおありだったと聞きます」
そう、ドラマウオッチャーの田幸和歌子さんは語る。社会情勢をドラマに反映しながら、その時代時代を生きる女性のリアルな姿を描いてきた。
「女性脚本家の先駆者である橋田さんが、草分けとなったことも多いんです。たとえば大河ドラマ『おんな太閤記』では、戦国ものを女性、庶民の視点で描き“戦国ホームドラマ”と呼ばれました。“嫁姑問題”や“夫がマザコン”という設定を取り入れたのも橋田さんが元祖。そこには“妻”としての経験が投影されています。『おしん』の嫁いびりは、おのおのの世代の正義と正義の衝突として、また『渡る世間は鬼ばかり』では、岡倉家の5人の女性を通して、家庭の崩壊や、さまざまな結婚のあり方が、描かれました。つねに、命の尊さと、女性の強さ、自立を描いてきた橋田さんは、まさに日本のドラマの母といえます」
コロナ禍の今を生きる女性たちを、橋田さんなら、どのように描いたであろう。
「女性自身」2021年4月27日号 掲載