紫綬褒章の内野聖陽 跡取り拒否で家族に負い目…介護生活支える実母への恩返しに
画像を見る 自転車に乗る少し痩せた内野

 

■「父をはじめ多くの人たちを裏切ってしまった」

 

年老いた母親を大切にいたわる内野だが、その陰には家族に対する“負い目”があったという。

 

「内野さんは、横浜にある寺院の住職の長男として生まれました。幼い頃から食事の前に読経をするなど、“跡取り息子”として厳しく育てられたのです。ですが役者になるという夢をかなえるため、実家のお寺を継がないことを決意。内野さんはそのことを申し訳なく感じているといいます」(前出・舞台関係者)

 

役者の道を選んだ心情を、内野はメディアのインタビューで次のように語っている。

 

《寺を継いでほしいという父の期待に背いて役者の道に進んでしまったので、『役者としてやっていける』ということをいち早く父に証明したかったのです。そういう意味でも、朝ドラに出演できたことの意味は大きかった。父には、僕が想像する以上の絶望感を与えてしまったと思っています。自分が役者になったことで、父をはじめ多くの人たちを裏切ってしまったという気持ちは今でもあります。だからこそ、中途半端なことはできないという意識が常にありますね》(金融広報中央委員会広報誌「くらし塾 きんゆう塾」vol.48 2019年春号)

 

「内野さんのお父さんが亡くなったのは’02年ごろです。その後は親戚の方がお寺を継ぎ、それに伴ってお母さんも実家を出ることになったそうです。’11年に個人事務所を設立した内野さんは、お母さんを代表取締役に据えています。内野さんには、『父の亡き後は自分が母を支える』という意思があったのでしょう。家族が反対した道で着実に大成していく様は、きっとお母さんにも感慨深いものがあるのではないでしょうか」(前出・舞台関係者)

 

役者としての功績が讃えられた「紫綬褒章」という栄誉は、一人息子のそばで静かに暮らす母への恩返しとなっただろう。

出典元:

WEB女性自身

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