「幼稚園のときにさ、マグカップに自分の絵をプリントして、っていうのやらなかった?(中略)いまだに俺、それでコーヒー飲んでる。日付を見たら’90年って書いてあって」
6月9日、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組でそう語ったのは、三浦友和(70)・百恵さん(63)の長男で歌手の三浦祐太朗(38)だ。“子どものころから大事にしているもの”というテーマでお気に入りのマグカップについて明かした祐太朗。驚きの物持ちのよさだが、彼が30年以上も同じ品を愛用するのには理由があるという。その背景には、百恵さんから受け継いだ“清貧の教え”が関係していた――。
「もともと百恵さんは母子家庭で決して裕福とは言えない家庭環境で育ちました。生活保護を受けていた時期もあると自伝で明かしており、お母さまは生活費のために人形の洋服を縫うなどの内職をして百恵さんも一緒に手伝ったりしていたそうです。
幼いころから『計画性を持ってお金を使うことを覚えなさい。1円を笑うものは1円に泣く』と教えられ、お小遣いの使い道も家計簿のようにノートに記録していたそうです。
そうしたしつけもあり、百恵さんは非常にしっかりとした金銭感覚の持ち主に育ったんです」(百恵さんの知人)
山口百恵といえば当時、絶大な人気を誇り“’70年代に日本で一番レコードを売り上げた歌手”として記録されている。さらに所属していたホリプロの自社ビルは通称“百恵ビル”とも呼ばれ、引退直後に出版した自叙伝『蒼い時』(集英社)は340万部を売り上げ社会現象になった。そんな大スターになった百恵さんだが、地に足のついた倹約生活ぶりは揺るがなかったという。
「14歳で芸能界入りして一気にスターダムを駆け上がり、引退したのも21歳という若さでした。どんなにブレークしても百恵さんは決して派手なお金の使い方をしませんでした。それは当時、金銭的な管理を任されていたお母さまも同様だったようです。骨身を削って働く苦労を知っているからこそ母娘ともにお金の大切さを決して忘れなかったのでしょう」(前出・知人)
■自宅売却を考えた友和に百恵さんは《千円なら千円の生活をするだけ》と
実際、その金銭感覚は自伝のなかでも明かされている。
《6万円。高すぎると思った。5万円くらいだったら、無理に買おうかと思ったが6万円。1万円の差は大きい。(略)この間、成城で見つけた白いバッグも、私は確かに気に入った。ただ私の中で、バッグの価値は6万円ではないのだ》
《何より、無駄にお金を使うことほど、馬鹿なことはない。贅沢をしようと思えば、きりがない》
どんなときもブレない価値観を持ち続けた百恵さん。’80年に友和と結婚したあとも質素な暮らしぶりは変わらなかった。
「結婚後の百恵さんは一般人として、あくまで普通の生活を望んだんです。お手伝いさんをお願いすることもなく家事も全て自分でして、少しでも安いスーパーがあれば足を運ぶ。そんな当たり前の幸せな家庭を築き、お母さまの教えを守り続けました。
ですが、そのお母さまも’89年に60歳で他界。しかも、そのころ友和さんの仕事も不調で、新築した家を手放すことも考えていたそうです。そんな友和さんに百恵さんは『10万円なら10万円の、千円なら千円の生活をするだけよ』と言い切ったのです。百恵さんの泰然自若とした姿勢に、友和さんもずいぶん励まされたといいます」(前出・知人)