篠原ともえ 今や吉田拓郎の先生に!シノラーから名デザイナーまでの華麗な転身
画像を見る ファッション業界で快進撃の続く篠原

 

■デザイナーを勧めた拓郎と、モノづくりの原点である母

 

「バラエティ番組で出会ったひとたちのお陰で今の彼女があります。ですから、シノラー時代は黒歴史ではないんですね。

 

例えば篠原さんのキャラクターを真っ先に面白がったのは、『HEY!HEY!HEY!』(フジテレビ系)で共演したダウンタウンのお二人です。クセが強いキャラクターを『2人の話術が魅力に変えてくれた』と篠原さんは感謝しているといいます。

 

何より篠原さんがデザイナーを志すようになったのは、拓郎さんがキッカケです。10代の頃、『タレント業もデザイン業もしたい……』と悩んでいるとき、拓郎さんが『デザイナーになって、君の才能を社会にシェアしなさい』と背中を押してくれたといいます」(前出・テレビ局関係者)

 

そんな篠原のモノづくりの原点は、母だった。『週刊朝日』’17年6月23日号で篠原は、「母が洋裁好きで、影響を受けて、私も子供のころからお人形さんのお洋服を作ったりしてたんです」と明かしている。

 

「篠原さんは6歳の時、母の日にジーンズをリメイクした手縫いのポーチをプレゼント。するとお母さんは『こんなに可愛いポーチ見たことない!』と大喜びしてくれたそうです。そのことがキッカケで、篠原さんは作ることの喜びに気づいたといいます。

 

お母さんは篠原さんのデザイン仕事を誰よりも応援しており、そのエールが篠原さんにとっての活力だそうです」(ファッション関係者)

 

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出典元:

WEB女性自身

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