■「ドバイの仲間がこの病院を紹介してくれた」
「昨年末にはスペインに移って、ゆっくり過ごしていました。ただ、僕には寒い気候はやっぱり合わないと実感しましたね。乾燥は肌にも悪く影響しましたし。そもそもヨーロッパの気候も乾燥がひどいので、合わないんだなという実感です。この頃にマレーシアに帰る準備をしていました。
そして、対症療法ではなく、身体そのものを正常に戻すやり方を模索していました。
自分の病気は神経異常によることからの免疫疾患及び肝機能の低下なので、それであれば、体の中から全体の質を上げられる治療はないのか? ってことを調べ始めました。仲間たちにも相談したところ、ドバイの仲間がこの病院を紹介してくれたのです」
昨年9月にも、本誌は彼にメールインタビューを行っているが、その際、一時は死の淵をさまよったことを明かしていた。
「正直、死にかけたときのことは覚えていない。あとで丸一日意識がなかったとスタッフに聞いたよ。病院には入っていない。医師に来てもらってた。ただ、目が覚めたときは『まだ生きてた…』とは思ったよ」
そもそも、幼少期から神経系疾患に悩まされてきたことは、著書『自白』で明かしていた。
《10歳になったころ、僕は突然倒れてしまった。胃、内臓が激痛により、動けなくなった》
当時は原因がわからず感染症を疑われ、鉄格子のついた小児病棟に隔離されるという、過酷な体験をしたことを自ら綴っている。こうした持病に長年、苦しめられてきた彼に改めて、今回の活動休止中の心境を尋ねた。
「うーん、このまま症状が悪化すると、もう表には立てないのかもなってことは思ってました。焦ってるというよりは、表舞台から身を引く時なのかなとも考えました。自分の引き際というか……」
芸能界引退まで脳裏に浮かぶほど、心身ともに苦しい日々だったようだ。
■「浜田さんからは『待ってるでぇ!』と温かい言葉も」
そんな試練を乗り越え、現在もまだ治療中の身ではあるが、GACKTは再始動へ向けて歩み始めている。具体的には、二階堂ふみ(27)とW主演する映画『翔んで埼玉』続編の撮影で復帰となりそうだ。前出の映画関係者は言う。
「配給の東映と所属事務所との間で、撮影再開に向けてスケジュール調整中です。’19年公開の第1作は、興行収入37億6千万円という大ヒットでした。それも、主演のGACKTさんの存在感があったからこそ。闘病を経て磨きがかかった演技を、製作陣もファンも大いに期待しています」
本人も“求められる”ことに最大限応えたいという。
「迷惑をかけた分、自分のやれることはしっかりやりたいと思っています。肩に力が入っている訳ではなく、GACKTを望んでくれる方がいるならその気持ちには応えたい。
予想は裏切る、期待には大いに応える。これがGACKTの生き方ですから」
さらに、個人65連勝中という前人未到の記録を誇る、お正月恒例の人気番組『芸能人格付けチェック』(テレビ朝日系)への出演にも意欲を見せる。
「去年は、出演のオファーを受けた後に、このような事態になって関係者の方にも迷惑もかけました。司会の浜田(雅功)さんからは『待ってるでぇ!』と温かい言葉もいただき、背中を押されました。望まれれば、その気持ちには応えます」
こう力強く、復帰宣言したGACKT。死線をさまよい、引退まで覚悟したという彼が、さらに飛翔して帰ってきてくれそうだ。