10月19日に急性硬膜下血腫のため亡くなったザ・ドリフターズの仲本工事さん(享年81)。
18日午前に横浜市内で横断歩道のない交差点を渡ろうとし、直進してきたワゴン車にはねられる事故に。頭を強く打ち、搬送時には意識がもうろうとしていたという。搬送先の病院で緊急手術を受けたが、帰らぬ人となってしまった。
仲本さんの突然すぎる死に、芸能界をはじめ各界から惜しむ声が相次いでいる。いっぽう、ドリフターズのメンバーである加藤茶(79)と高木ブー(89)は、コメントを発表できる状態にないという。
「加藤さんと高木さんは、事故当日に横浜の病院まで駆けつけました。しかし、19日に電話で訃報を知らされることに……。仲本さんの回復を願っていた2人は憔悴のあまり、20日の段階でもまだ遺体と対面していないと報じられました。20年3月に志村けんさん(享年70)が新型コロナによる肺炎によって急逝してまだ2年半です。その傷が癒えないうちに、もう一人仲間を失った心痛は察するに余りあります」(スポーツ紙記者)
高木のInstagramは、10月14日に開催された『志村けんの大爆笑展』でスペシャルゲストとして一緒に登場した仲本さんとの2ショットで更新が止まっている。ネット上では、残された2人を心配する声が相次いでいる。
《いつの間にか二人だけになってしまいましたね。。。》
《加藤さん、高木さんの事を思うと言葉がありません……ドリフターズは永遠に不滅です》
《ドリフターズがとうとう二人に。仲本さんのご冥福をお祈り致します。加藤さん、高木さんにはこれからも元気なお姿を長く見せていただきたいです》
65年にドリフターズに加入した仲本さんだが、そのきっかけは高木だったという。
「中・高校時代は体操選手として活躍していた仲本さんですが、入学した学習院大学に体操部がなかったことから音楽の道を歩むことに。ギターは独学で習得し、バンド活動を通じて加藤さんや高木さんと出会いました。そして、高木さんがいかりや長介さん(享年72)に、仲本さんを新バンドのメンバーとして推薦したのです。ドリフの活動はバンドから、次第にコント中心にシフトしていきました」(芸能関係者)
69年10月に『8時だョ!全員集合』(TBS系)、77年2月には『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)がスタートし、国民的人気を博したドリフターズ。90年代に入りメンバーのソロ活動が増えるなか、99年に加藤、高木、仲本さんの3人で「こぶ茶バンド」を結成し共に歩んできた。
昨年7月には、ドリフターズとももいろクローバーZによる配信番組『もリフのじかん』(ニコニコ生放送)もスタートし、同年11月に日本武道館でライブイベントも開催。メンバー最年長である高木は今年5月、メディアのインタビューでこう語っていた。
《ドリフの話を始めると止まらなくなるほど、僕たちには沢山の思い出があります。でも、思い出だけじゃない、まだまだこれから3人で新たなことに挑戦しますから楽しみにしていてください》(22年5月3日「介護ポストセブン」)
「3人の付き合いは60年にもなりますが、志村さんが亡くなって以降、以前よりも絆が強くなったそうです。今年3月に迎えた志村さんの三回忌では、3人で墓参りをしたことも報告していましたね。高木さんは志村さんの死を経験したからこそ、“3人で会えることのありがたさを実感しています”と話していました」(前出・芸能関係者)
半世紀以上にわたって苦楽をともに歩んだ盟友の死。その喪失は、あまりにも大きすぎる。