■母を撮影するためにガラケーからスマホに
「芳枝さんは大ヒットした『ひこうき雲』のことをお店のお客さんに言われて、ようやく娘の曲だと知ったくらいです」(芸能関係者)
デビュー50年を記念して松任谷由実の半生をつづった『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』(山内マリコ著)の中には、こんな一言が書かれてている。
《女の子の将来がけして明るいものではないことを知る芳枝は、二階の居間でテレビを囲んでいるときにふと、釘を差すようなことを言ったりした。(略)「由実ちゃん、芸能界に行くのだけはおよしよ」》
決して“ベッタリ”ではない親子関係だったが、パワフルで個性的な母の影響はユーミンにとって大きかった。音楽関係者は語る。
「ユーミンがほかの歌手に楽曲を提供する際に使うペンネーム『呉田軽穂(くれたかるほ)』が、スウェーデンの世界的女優、グレタ・ガルボをもじったものであることは有名ですが、芳枝さんが昔の洋画や舞台が大好きだった影響なのです」
ユーミンの人気は長く続き、芳枝さんも次第に理解を示していく。結婚したユーミンもまた、母との距離を縮めていった。ユーミンを長年取材してきたカメラマンのYAHIMОNときはるさんは語る。
「’11年7月13日にコンサートを見に行ったときのことです。私は幸運にも芳枝さんの隣に座ることができました。ユーミンが“私の母は私よりおしゃれで派手”といつも言っていたとおり、車いすで介護の方にケアされながらも、とってもおしゃれでした。アンコールの終了後、“ねえ、最後の衣装がいちばんいいわよね。銀幕スターみたいじゃない?”と気さくにしゃべりかけてくださったんですよね」
’16年に発売されたアルバム『宇宙図書館』に収録されている『Smile for me』には、ますます大きくなる母への思慕が込められていると、YAHIMОNときはるさんは続ける。
「これは芳枝さんをイメージして作られた曲です。ユーミンが芳枝さんの入所している施設に行き、スマホで『わらって』と言いながら撮影したときの情景を歌詞に描いているのです。それまでユーミンはガラケーでしたが、お母さまを美しく撮影したくてスマホに替えたのだそうです」
数々の偉業による文化功労者選出よりも、コロナに打ち勝ち、キャリア50年を見届けてくれた母の存在が、ユーミンにとっていちばんの喜びとなっているのだろう。