《今日は舞台の後抱きつかれて泣かれました。自分的に上手くいかなかったらしいです。そういう涙は大切と思います》
12月20日、息子でもある8代目市川新之助(9)とのエピソードをブログでこう綴ったのは13代目市川團十郎(45)。團十郎は新型コロナによる2年の延期を乗り越え、同じタイミングで新之助を襲名した息子、長女の麗禾ちゃん(11)ともに11月から続く歌舞伎座での襲名披露興行に励んでいる。
念願の舞台で日々渾身の演技を見せる團十郎だが、そこにいたるまでには様々な波乱があった。今年3月に突如、義姉の小林麻耶(43・現在は國光真耶)が《結婚してから約4年間海老蔵のせいで生き地獄でした》など團十郎に関する出来事を告発し、連日のように批判を展開した。4月に團十郎が週刊文春のインタビューで麻耶に謝罪したことを語って以降は沈静化したものの、世間を大きく騒がせた。
また襲名披露興行の実施が正式に発表されてからも、大名跡でありながらチケットは即日完売どころか売れ行きの悪さがいたるところで囁かれることに。團十郎の言動に不満を抱く人間国宝の尾上菊五郎(80)ら重鎮が披露興行での口上出演を拒否したことも本誌は報じている。
それでも、ブログやSNSでは一切弱音を吐くことなく日々子供たちと舞台に上がる團十郎。そこには、亡き妻小林麻央さん(享年34)への思いがあるようだ。
襲名披露興行を目前に控えた10月下旬に公開された日本テレビの番組のインタビューで、團十郎はこう語っている。
「やっぱり心の中では常にいるわけですよね。本当はじかに勸玄を褒めたたえたい、麗禾を一緒に支えていきたい、私のことも支えたいっていう気持ちが(麻央には)あると思いますけど、支えなくても大丈夫、楽しく見てもらえるような、余裕を持った状況になれるように頑張ります。心配しないで見てほしいなっていうところが私の本音です」
10年3月に結婚して以来、17年6月22日にその生涯を終えるまで梨園の妻として常に團十郎を支えてきた麻央さん。襲名披露興行の千秋楽が迫る今、本誌が目撃してきた2人の歩みを振り返りたい。
2人が婚約発表会見を行う少し前の10年元日の朝、麻央さんが團十郎といたのは生前の先代團十郎さんの自宅。元日ということで、歌舞伎役者たちによる挨拶まわりが行われており、市川家の面々とともに来客をもてなしていた。午後2時過ぎに市川家への挨拶まわりが一通り終わると、團十郎の母である希実子さんに見送られながら少しホッとした表情で帰路につく麻央さんが印象的だった。
12年3月、自宅近くで散歩する2人を目撃。自宅から少し離れるとどちらともなく2人は手をつなぎ、公園で1時間ほど談笑し帰宅していた。当時團十郎は歌舞伎公演中だったが、午前の公演が休みだったこの日、生後8カ月の麗禾ちゃんを預けてつかの間の夫婦水入らずの時間を楽しんでいた。
その後13年3月に新之助が誕生し、幸せいっぱいの2人だったが、14年10月に麻央さんのがんが発覚。しばらく伏せられていたが、16年6月に團十郎は緊急記者会見で麻央さんが闘病中であることを明らかに。病を公表してから麻央さんは、闘病のかたわらブログで積極的に自身の病状について発信した。
闘病中も強い絆で結ばれていた。16年12月の大晦日、再入院先から一時帰宅していた麻央さんを連れて團十郎が向かったのは、都心にある人気のそば店。駐車場から店に向かう道中、團十郎は麻央さんの身体を支えるように力強く手をつなぎながら歩いていた。当時、團十郎はブログで、この日のことをこう綴っている。
《私もなんか涙出て、2人でありがとうと涙(中略)2人で、年越しそば なんでもないことなのに なんか連日、泣けるわ》
それか約半年後に息を引き取った麻央さん。最後の言葉は家族に向けた「愛してる」だったという。
麻央さんは今日も天国から、舞台に立つ團十郎と子供たちの姿を応援していることだろう――。