「自分たちが積み重ねてきた、この作品が1人でも多くの皆さんに届いているんだなと思えて、うれしいです」
3月28日に、都内で行われた映画『わたしの幸せな結婚』の大ヒット御礼舞台挨拶で、こう語ったのは目黒蓮(26)。初の単独主演映画となった同作は、公開から12日間で観客動員数100万人を突破。’22年のドラマ『silent』(フジテレビ系)で人気に火が付き、現在絶好調の目黒だが、悲しい別れもあった。
「実はジュニア時代からの友人であるAさんが、ジャニーズ事務所の定年制度を前にアイドルとは別の道を歩むことにしたと聞いています」(芸能関係者)
’21年に公表された定年制度は、満22歳到達後の最初の3月31日までに、活動継続について事務所と合意に至らなかった場合活動を終了するというもの。
3月30日に開催された取材会で、ジャニーズアイランドの社長・井ノ原快彦(46)は、適用されるジュニアは数人いると語り、「とてもいい制度だと思う。ある種の区切りがあるから頑張れる」とも述べていた。
目黒とAさんの関係性を前出の芸能関係者は明かす。
「2人はプライベートでご飯に行ったりもしていたみたいですよ。周囲にAさんのことを親友だと公言していたといいます。13歳でジャニーズ事務所に入ってから、22歳でデビューするまでの9年間、目黒さんはAさんとともに苦しいジュニア時代を必死に過ごしていたといいます」
’22年10月放送の『めざましテレビ』(フジテレビ系)にVTR出演した際、目黒はジュニア時代を振り返り、「自分でも、デビューを夢見れるほどの場所にもいないって、どこかわかってた」といい、さらに「(退所を)リアルに、すごく考えていましたね」と語っていた。
親友のジャニーズジュニア引退に思うことがあったのだろうと、テレビ局関係者は推察する。
「人生において何度も悔し涙を流したことがあるという目黒さんは、ジュニア時代に“デビュー”や“映画に出演”といった夢を記入したノートを作成し、目標を明確にしたといいます。そして、デビューの夢をかなえたときに初めてうれし涙を流したそうです」
がむしゃらだった“原点”を思い出した目黒。’23年2月発売の、女性ファッション誌『25ans』で目黒はこんな宣言をーー。
「失敗しようが成功しようが、頑張ってチャレンジする気持ちが大事なわけで。その気持ちすら持たずにこのくらいでいいかなって安住するのはダメだと思ってます。それで盛大にミスろうが、チャレンジした姿がいちばんかっこいいのかな」
目黒は別の夢を追った親友への思いを胸に挑戦を続けるーー。