2000年の紅白歌合戦に出場したときの浜崎あゆみ 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になった歌手の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。

 

「’90年代、流行の発信地・渋谷では肌を真っ黒になるほど焼いたガングロギャルが多く目撃されましたが、色白な浜崎あゆみさんの出現により一変。美白ブームが起きるほど影響力があったのです」

 

そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(55)。

 

小学生のころからキッズモデルやアイドル、女優として活動していた浜崎あゆみだったが、エイベックス創業者の松浦勝人氏との出会いが大きな転機となった。

 

「’90年代、エイベックスの売り上げのじつに7割を、小室ファミリーが生み出していたといわれています。ところが’97年後半ごろから、エイベックスと小室哲哉さんとの関係が好ましくない状況に。次なるスターを探していたときに、松浦氏が原石だった浜崎さんを発掘したといわれています」

 

■不安や孤独を赤裸々に歌う共感のカリスマ

 

’98年4月、「浜崎あゆみ」としてのファーストシングル『poker face』(’98年)をリリース。そこから2カ月に1枚というハイペースでシングルを発表していく力の入れようだった。

 

「同年12月、浜崎さんは『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)でゲストパーソナリティを務めました。番組キャッチフレーズは『浜崎あゆみはバカじゃない』というインパクトの強いもの。その言葉どおり、番組では人生相談にも挑戦。アンチからの問い合わせにも真摯に答え、最後には相談者を感極まって泣かせてしまうほどだったといわれています」

 

浜崎の公式サイトの掲示板にも、膨大な反響が寄せられた。

 

「紡ぎ出す言葉が、多くの人の心に刺さる--。このラジオ出演も快進撃に拍車をかけました」

 

その直後に発売されたファーストアルバム『A Song for xx』(’99年)で、初めてオリコンチャート1位を獲得した。

 

「自ら作詞を手掛けていますが、表題曲となった『A Song for xx』は、居場所を求める若者に寄り添う内容でした。その後、『Voyage』(’02年)や『part of Me』(’08年)では、歌詞に『ボク』という一人称を使うなど、ジェンダーを超え、あらゆる人々を巻き込み、共感を得ていったのだと思います」

 

音楽ばかりでなくファッションやネイル、カラーコンタクト、ヘアスタイルにいたるまで、若者に影響を与えるカリスマに。

 

「自身でも部屋の数がわからないほどの豪邸に住んでいることを告白。インスタグラムの投稿がネットニュースになるなど、今も変わらず注目され続けています」

 

【PROFILE】

牛窪恵

’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍

マーケティングライター、世代・トレンド評論家

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