■親子3人の仲は良かったはずなのに…猿之助が語っていた母への尊敬
猿之助は1983年に二代目市川亀治郎として初舞台を踏み、2012年に四代目市川猿之助を襲名。だが、段四郎さんは2013年に猿之助の襲名公演の最中に倒れ、以降は療養に専念していたという。そうしたなか、2015年のスーパー歌舞伎II「ワンピース」で実現した親子共演は大きな話題を呼んだ。
いまでは澤瀉屋の看板を背負う猿之助だが、幼いころから両親の愛情を一身に受けて育ってきた。
「澤瀉屋は歌舞伎界では珍しく学業優先で、稽古を理由に学業をおろそかにしてはいけないという方針でした。猿之助さんは段四郎さんの言いつけ通りに、慶応義塾大学をきちんと卒業しています。その一方で、柔軟な考えの持ち主である段四郎さんは、“好きこそ物の上手なれ”と稽古を押しつけなかったそうです。初めは歌舞伎を好きになれなかった猿之助さんは、父の舞台を鑑賞してその素晴らしさを再認識したと語っていました」(歌舞伎関係者)
芸に励む夫と息子を支えてきた延子さんもまた、愛情にあふれた人だったようだ。日本舞踊の坂東流の名取だったこともあり、踊りには人一倍厳しかったという。だが、猿之助は過去のインタビューで「常にポジティブ。人は何か起きるとああすればよかった、と後悔しがちなものだが母は違う」(’05年7月20日「スポーツニッポン」)と、尊敬の気持ちを語っていた。
「延子さんは一人息子の猿之助さんをいつも気にかけていて、猿之助さんが四代目を襲名するのは悲願だったそうです。親子3人の仲は良かったはずなのに、なぜ一家心中のような事件が起こってしまったのか……。段四郎さんと延子さんの葬儀も見通しが立っていないそうですし、一日も早く事件が解明されることを願うばかりです」(前出・歌舞伎関係者)
事件当日には、一部週刊誌でパワハラとセクハラ疑惑が報じられた猿之助。だが所属事務所は23日に、マネージャーへの聞き取りをした上で「ハラスメントの事実はない」と否定していた。いったいなにが一家にこのような行動を取らせたのだろうか、悲しすぎる選択の真相はいかにーー。