■中野サンプラザが山下達郎のホームグラウンドになった理由
今年2月18日に放送された『山下達郎と上柳昌彦のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、山下はその理由をこう語っていた。
「(中野)サンプラザはね、融通が利くっていうかね。でも1980年の5月1日っていうのが、『RIDE ON TIME』の発売日だったんですけど。そのときが生まれて初めてサンプラザでやった日でね。5月1〜3日って3日間と、12月25〜27日の3日間という。それが4年ぐらい、ずっと続いたんですね。それで、僕のホームグラウンドになったんですけども……」
前出の音楽関係者は言う。
「ハイトーンが持ち味の達郎さんは音響へのこだわりが半端なく、基本的に『大きい会場でライブをやりたくない』ポリシーの方です。中野サンプラザに関しては、設計上、六角形のアリーナになっているのですが、最大収容人数から120席ほど減らせば、達郎さんがライブの理想とする音響スペースに変えられる“唯一無二の場所”だといいます」
先ほどのラジオ番組でも同所の解体に関して、山下は憤激していた。
「でも本来だったらあそこ、ちゃんとリフォームしてね。耐震強度をアレして残せばいいのになって僕なんか思うんですけどね。日本はなんでもスクラップアンドビルドだから……」
1月の同所のライブでは、サプライズがあったという。
「アンコールでは妻の竹内まりやさん(68)が登場したんです。同所での初ライブ日に発売された『RIDE ON TIME』を夫妻でアカペラ熱唱し、観客の興奮は最高潮に達していました。
最後に達郎さんは観客の前でしみじみと語りかけたんです。『大変な時代になったけれど、心の安らぎをもって冷静に寛容に助け合っていきましょう。カッコよく年をとっていきましょう!』って。観客に手を振って去っていきました。
43年間の思い出が、夫婦であふれたのでしょうね。街の再開発やコロナ禍など、長い人生では自分の力ではどうしようもないこともある。達郎さんは『それでも、音楽の力を信じている』と話していたと聞いています」(前出・音楽関係者)
中野サンプラザの建て替えは不可避なものだったのだろうか。中野区役所に聞いた。
「そもそも『再整備していく』と打ち出したころから『まだまだ使えるんじゃないの?』という話は確かにありました。今の施設を生かした形で、まちづくりとして更新できないのかという話は議論としてはありましたが、施設の老朽化などから難しいということで(再開発を)進めてきたのです」(中野駅周辺まちづくり課の担当者)
中野サンプラザの解体後、近隣に新たなコンサートホールを作るという。
「隣接する区役所とサンプラザの敷地を一体にして再整備、再開発する予定になっておりまして、今、施工予定者の野村不動産グループから最大収容人数7千人のホールということで提案をされています」(前出・中野駅周辺まちづくり課の担当者)
2028年の完成を想定しているという。閉館最終日、感極まった山下は何を語るのか。彼の声のトーンがさらに上がりそうだ。