「DNA」「魂」…四代目がこだわり続けた「澤瀉屋の証明」猿之助4代150年の明と暗
画像を見る 1995年、『ヤマトタケル』の衣装を報道陣に公開する三代目猿之助

 

■60年前、三代目が勤め上げた涙の代役。歴史は繰り返し……

 

四代目の歌舞伎界復帰は絶望視されており、澤瀉屋も存亡の危機に直面しているという。はたしてその再興は可能なのだろうか。関さんは事件後に四代目の代役を見事勤めた五代目市川團子(19)に期待を寄せる。

 

「俳優として確固たる地位を築いた香川さんが歌舞伎役者を志すことになった理由が、息子さん(五代目團子)のためだったと聞いたときは感動しました。そもそも、團子さんの本名は政明。『政』の字は二代目猿之助から代々、澤瀉屋の長男につけられたものです。そんなお父さんの期待に応えようと、團子さんは精進したのでしょうね。その結果を5月の代役で見事に発揮できました。踊りの筋もとてもいいですし、今後も期待できますね」

 

犬丸さんは四代目の代役を團子が演じた点を「三代目の“涙の襲名”と二重写しに見えた」と話す。

 

「1963年、二代目猿之助が病いに倒れ、本当なら彼がやるはずだった『黒塚』を、孫である三代目が代役で勤めることになりました。病室にいた祖父は孫が踊る時間になると起き上がり、ベッドの上で正座して、幕が閉じるまで瞑目合掌していたそうです。

 

その祈りが天に通じたのか、三代目は自分の襲名のかたわら、大役を23歳の若さで見事果たしたのです。今回、代役を勤めあげた團子にも逆境に負けんとする澤瀉屋の精神、反骨の精神を感じました」

 

とはいえ、父・中車は精進を重ねているものの、まだまだ誰かに歌舞伎を教えられるまでの技量はないという。いったい誰が團子に芸を伝えていくことになるのか。犬丸さんは「四代目が残した財産に期待したい」と話す。

 

「四代目が作り上げた、一門の垣根を越えたネットワークが、ここで生きてくるのではないかと。よその家の先輩俳優たちが、澤瀉屋の窮地に手を差し伸べ、将来、五代目猿之助として、この家を背負って立つ團子の芸の研鑽にも、きっと手を貸してくれるのではないかと思っているのです」

 

期待を集める團子は以前、インタビューでこう語っていた。

 

《團子という名前は祖父(市川猿翁)をはじめ代々の方が名乗られてきたわけですから、名前に恥じるような舞台は絶対にしたくないし、そのための努力をしたいと思ってます》(『with』2021年11月号)

 

当時は17歳だったが、名跡の持つ重みをしっかりと受け止めているのだ。さらに……。

 

《日常の自分と歌舞伎俳優の自分は性格が違う。普段は心配性だったり、ネガティブな気持ちになることもあったりするのに、舞台に上がると「どんなことがあっても絶対にやってやる!」の精神になる》(『メンズノンノ』2022年8・9月合併号)

 

澤瀉屋の宿縁からか、19歳にして大きすぎる重責を担うことになった團子。だが、その胸に宿る反骨心で、いつか再び“猿之助”を飛翔させてほしい。

【関連画像】

関連カテゴリー: