■’21年には長女との”同居”を解消
それまでは同じタワーマンションの別室に暮らしていた二人。しかし、不和によるものか、ローンの返済が終わったことを機に玉緒が家を出て一人暮らしをすることになったという。
本誌が’21年10月に直撃した際、Aさんはこう別居を認めていた。
「本人(玉緒)が越したがったから、『どうぞ』と……。別に何もないです」
その後、’22年2月、Aさんが玉緒の麻雀仲間で元運転手のCさんと再婚していることも明らかになった。このことも、母娘の亀裂をより深いものにしていたようだ。
「Cさんが雇い主の玉緒さんよりもAさんを優先するようになっていったことで、この2人と玉緒さんの間には、少しずつ溝ができるようになっていったんです」(玉緒の知人)
さらに、今年5月、本誌の取材によりAさんが個人事務所の社長を辞任した半年後の’21年春に「株式会社勝プロダクション」を設立していたことも発覚した。「勝プロダクション」は、’67年に勝新太郎さんが設立した会社だが、放漫経営により’81年に倒産してしまう。
「のこされた負債は12億円ともいわれ、’97年に勝さんが逝去した後、玉緒さんはその返済に追われました。玉緒さんは夫の借金を完済したことを誇りにしていましたから、勝手にまったく同じ名前の会社をAさんが立ち上げたことを“裏切り”に感じたのではないでしょうか」(前出・玉緒の知人)
8月中旬、本誌はAさんに玉緒さんとの現在の関係や母の老人ホーム入りについて聞くために声をかけたが、「私にはわからないんで……」と答えるだけだった。
玉緒にとって家族がかけがえのないものだったことは間違いない。『婦人公論』2021年12月14日号のインタビューで玉緒は、家族で過ごした思い出が生きる支えになっていると語っている。
《2人の子どもに恵まれ、家族4人でいろいろなところへ行きました。主人は子煩悩でしたから、微笑ましい光景がパーッと思い浮かんできます。あれが幸せでなくてなんだろうと心がほっこりしてくる。すると私の人生は素晴らしいと確信することができて、生きる力が湧いてくる》
現在は回復傾向にあるという玉緒。母娘の絆も戻ることを祈るばかりだが――。