「ブラックすぎ」めちゃイケで大ブレイクも消えた人気芸人 明かした当時の“収録の裏側”に視聴者衝撃「ビックリするほど過酷」
画像を見る 現在の三中(ニューヨークのYouTubeより)

 

■過酷な合宿生活「死んでいいや」と思ったことも

 

そして、その合宿生活も過酷なものだったという。プライベートなスペースは、みちのくプロレスの事務所奥にある2段ベッドの一画のみ。毎日、朝起きるとトイレ掃除や雪かきをしたのちに、練習として筋トレや3時間のランニングを行った。

 

「めちゃイケからの要望で、三中をライザップみたいにしてほしいっていう依頼があったらしいので食事制限とかもきつくて。昼からはロープワークとか、またわりとか、本当のプレスのウェイトトレーニングとかっていうのをやりつつ、みちのくプロレスの宣伝活動にも借り出されてたんで」

 

月曜日だけが唯一の休みだったが、携帯はあってもWi-Fiなどの環境もなく、周囲にはクマがうろついているような山の中。楽しみは近場でご飯を食べるぐらいだったという。さらに、当時はめちゃイケからの給料はなく、東京の家賃だけを払ってくれていたとも明かした。

 

みちのくプロレスの人と仲良くなることはなかったのかと聞かれると、「僕としてはもうやっぱ無理なんすよ。体がついていかないんすよ。でもプロレスラーの人たちはめちゃイケから言われてるし、番組の企画として成立させないといけないからっていうので、もうめっちゃ厳しくされる。仲良くなるってことはほぼなかったです」と孤独だったことも明かした。

 

なんとしてでも、三中をプロレスラーにしたがっていたというめちゃイケ側。しかし、それはあまりにも非現実的だったという。

 

「結局プロレスラーなれなかったんですよ。プロレスラーの人もやっぱり言ったんですよ、めちゃイケのスタッフの人に。彼を本当のプロレスラーにしようと思うと、5、6年かかりますよみたいな。ほんとに目指してきた子でも慣れない世界だからっていう。でも、めちゃイケ的には絶対にしてほしいですって。何年かかってもいいですみたいな」

 

それでも続くプロレス修行の日々。心が折れたこともあったという。

 

「最後はもうほんとに、どうやったら帰れるんだろう? っていうのをずっと考えてて。外ランニングに行った時に、これほんと初めて喋るんですけど、車とか通ってる時に、ちょっとぶつかれば帰れるんじゃないかなって、ほんとに飛び出そうと思ったことあります。

 

1回、山を降りてきて、3時間走って、もう1回山の上に帰るんですけど、その山登ってる時に、途中でふらってなって、倒れたんですよ。やばい、起きな! と思ったんですけど、なんかもういいやと思ったんですよ。もうこのまま、もう死ぬんだったら死んでいいや、もうほんと、死ぬんだったらもうこのまま死んでいいやんって思って。もう雪降ってたんですけど。途中で、やっぱ嫌や、それでもやっぱ生きな! それでもやっぱ勝たな! と思って立とうと思ったら、もう体が震えて立てなかったんですよ。雪も結構積もっちゃってて。ほんとにもうやばいやばいってなった時に、たまたまみちのくプロレスの人が通りかかって、どうした! みたいな感じで。もうちょっと遅かったら、ほんと、死んでた」

 

その後、番組的には「三中が実はもう逃げ帰ってきてましたっていうことになって」企画が終了したという。

 

あまりに過酷だったプロレス企画。YouTubeのコメント欄には、三中に同情する声が相次いで寄せられている。

 

《めちゃイケの印象だとただのダメなヤツってイメージだったけど、めちゃイケ側が理不尽すぎたしその後もちゃんと頑張ってたんだな》
《三ちゃん懐かしいなんて思って見始めたら、内容はビックリするほど過酷でもすっごく元気で明るくて話もおもしろい!これから活躍しそう!》
《これを聞くとニューヨークがバチエレで留まったのはある意味良かったのかもとか思ってしまう…昔のバラエティ怖すぎる》
《ブラックすぎやろ…》

出典元:

WEB女性自身

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