「もう亡くなりましたが……」
7月5日、自身のラジオ番組「Yuming Chord」(TOKYO FM)で、母・荒井芳枝さんとの思い出を語るなか、芳枝さんが亡くなっていたことを明かした松任谷由実(70)。芳枝さんは享年102歳。亡くなったのは一昨年11月のことだったという。
「ユーミンはその年の9月放送の『松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD』で、春に芳枝さんが新型コロナに感染していたことを明かしていました。そのときに『エクモはできない年齢だけど、高濃度酸素を与えてたら復活しちゃって!』と嬉しそうに話していたので、今もお元気かと思っていたのですが……」(音楽関係者)
ユーミンファンにはよく知られた芳枝さんは、東京・八王子にある創業100年超の老舗呉服店の経営者だったが、
《母はもともと、私がステージで歌うなんて反対していた人》(anan 22年10月5日号)
かつて松任谷本人が雑誌のインタビューにそう答えていたように、当初は娘の歌手活動を快く思っていなかった。
「芳枝さんは呉服店の仕事が忙しかったこともあり、娘が国民的アーティストに成長しても関心を寄せませんでした。‘73年に大ヒットした『ひこうき雲』も、お客さんに教えてもらい、はじめて娘の曲であることを知ったとか」(芸能関係者)
決してベッタリではなかった母娘関係だったが、松任谷にとってパワフルで個性的な芳枝さんの影響は大きかった。
「ユーミンもよく『母は私より派手』と言っていました。よくエルトン・ジョンみたいなサングラスをかけていて、昔の洋画や舞台が大好きだったそうです」(前出・芸能関係者)
デビュー52年を数えるニューミュージックの女王に影響を与えた芳枝さんについて、長年ユーミンを取材してきたカメラマンのYAHIMONときはるさんは次のように語る。
「私は‘85年12月に開催されたユーミンの船上クリスマスイベントを取材したのですが、そのときに彼女が着ていた朱色の和服は、芳枝さんが見立てたものでした。その後、‘05年に八王子市で行われたユーミンのコンサートで芳枝さんにお会いする機会があり、着物姿の写真を見せたら『ユミちゃんはこの色が似合うのよね』『私は人と違った帯留めが好きだから、これを選んだの。素敵でしょ』とうれしそうにおっしゃっていたのがとても印象に残っています」
また、こんな母娘エピソードも――。
「’16年に発売されたアルバム『宇宙図書館』に収録されている曲『Smile for me』は、芳枝さんをイメージして作られた曲です。ユーミンが芳枝さんが入所していた施設に行き、スマホを向けて『笑って』と語り掛けながら撮影したときの情景を歌詞に書いたもの。それまでユーミンはガラケーを使っていたのですが、お母さまを美しく撮影したくてスマホに変えたそうです」(前出・YAHIMONさん)
半世紀にわたるキャリアを見届けてくれた母の存在は、これからもユーミンの心の支えになってくれるに違いない。