《独自》「今年で卒業」『24時間テレビ』名物マラソンP語る「やす子への最後の助言」
画像を見る 17年、ブルゾンちえみ(当時)と並走

 

■「最も印象に残るマラソンランナーは西村知美」の理由

 

裏方の坂本さんがテレビに映るようになった契機があった。01年、女性で初めて『24時間テレビ』のチャリティマラソンに挑戦した研ナオコ(71)からの言葉だった。

 

「テレビではタレントさんが主役ですから私は“映ってはいけない”とずっと思っていました。ところが研さんが練習しているときに『この人(坂本さん)が一緒に走ってくれないと本番も走れない!』と言われてリクエストされたんです。そこで初めて画面の中に入って並走するようになりました。それから数年、女性ランナーが続くのですが、研さんと同様に、その後も一緒に走ることが当たり前になってしまいました」

 

今年で『24時間テレビ』を卒業することに決めた背景には、坂本さんにとって“最愛の伴侶”を失ったことが大きいという。

 

「実は3月に家内が亡くなりました。15歳のとき、中学生の修学旅行で行ったバスガイドさんで、私の一目惚れだったんです。その5年後に結婚しましたが、ずっと私を支えてくれていました。

 

寛平さんのサポートを始めたとき、会社を辞める時も一切反対しませんでした。家内は『人生は1回なんだから、貴方は悔いのないことをやりなさい。お金は私がなんとかする』と言ってくれたんですね。退職金は2年ほどで使い果たしましたが、その後の資金繰りなどはすべて家内がやってくれました。会社が軌道に乗るまでには12年かかりましたけどね……」

 

歴代のマラソンランナーで、もっとも印象に残っている有名人は西村知美(53)だという。そこには、坂本夫妻の激動の歩みと大きな関わりがあった。

 

「実は私たち夫婦に1人だけ子供ができたのですが、難産で帝王切開が遅れ、死産になってしまったんです。その女の子と西村知美さんの生年月日が全く同じなんですね。彼女がマラソンを走ったときは31歳で、もしウチの子がそのまま生きていたら31歳。そのため亡くなった娘と彼女がかぶってしまいました。これがきっかけで、今も西村さんとは交流を続けています。私にとって娘のような存在です。彼女もうちの家内をお母さんのように接してくれていました。

 

彼女はもっとも印象にのこっている『24時間テレビ』のランナーでもあります。そして私が唯一、怒ったランナーでした。素人ランナーの方は、走り出して調子がいいと無理をしちゃうんです。でも、そのままのペースで走るとあっという間につけがまわってくる。最悪の場合はケガをしてしまうことを彼女は知らなかったのです。途中でオーバーペースになってしまった彼女に休憩中に『そんなにいい気分になって走ってはいけない!』とかなり厳しい口調で伝えました。そしたら彼女はボロボロ泣き出してしまって…。

 

でも彼女は“完走させるために言ってくれたんだ”と理解してくれました。それからはペースを守って結果的には完走することができました。そういうことがあったのは知美ちゃんだけですね…」

 

次ページ >10キロダイエットを課したやす子には「楽しんでほしい」

出典元:

WEB女性自身

【関連画像】

関連カテゴリー: