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「最近は仕事も順調でコンサートを心から楽しんでいるようでした。先日も『見に来て!』と言われていたのですが、まさかこんなことに……」(中山さんの知人)

 

12月6日、中山美穂さん(享年54)が東京都渋谷区内にある自宅の浴槽で亡くなった。

 

「中山さんは水が張られた浴槽に座り、前かがみの姿勢だったそうです。部屋は施錠されており、発見時は1人だったとみられています」(全国紙記者)

 

当日の未明、スタッフへ仕事のメールを送っていたという。

 

「亡くなった日、中山さんは大阪市内で行われるコンサートに出演するため、朝9時ごろに事務所関係者とJR品川駅で待ち合わせをしていました。しかし、姿を現さなかったため心配した関係者は自宅に向かい、彼女を発見したのです」(前出・全国紙記者)

 

中山さんは’82年に芸能界入りし、’85年、『「C」』で歌手デビュー。ミポリンの愛称で親しまれた。同年、ドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)で女優デビュー。共演者の木村一八(55)は本誌の取材に「突然の死にショックを受け驚いている」と語ったうえで、《慣れないドラマの撮影を皆で励まし合いながら乗り越え笑い合った出来事が昨日のことのように思い出されます。どうか安らかにお休みください》とコメントした。

 

8日の夕方には、公式サイトで死因が発表された。《検死の結果、事件性はないことが確認されました。また、死因は入浴中に起きた不慮の事故によるものと判明いたしました》。捜査関係者によると、死亡推定時刻は6日午前3時から5時だという。前出の全国紙記者は言う。

 

「現場の状況から、急激な温度変化で体に悪影響をもたらすヒートショックの可能性が。中山さんがお酒好きだったことも、何らかの影響があったのでしょうか……」

 

中山さんと親交のある音楽関係者は言う。

 

「20代のころから、ミュージシャンや音楽仲間がよく集まっていた港区内のバーの常連でした。吉川晃司さんや藤井フミヤさん、原田知世さんもお気に入りの店でしたね。美穂さんは“陽気に楽しく飲んでいた”記憶があります。近づくと圧倒的なオーラがありました」

 

近年は歌手として毎年、全国ツアーを行っていた中山さん。来年はデビュー40周年のメモリアルイヤーのため、歌手活動にさらなる意欲を示していたという。今年3月に配信されたインタビューで、ツアー期間中もお酒を楽しんでいるとも語っていた。

 

《本番に支障が出ない程度ではありますが、コンサートが終わって、その日の録音を聞きながらお酒を飲む時間がとても好きですね》(「iichikoスタイル」3月26日)

 

仕事だけではなく、最近は私生活も充実していたようだ。別の音楽関係者は言う。

 

「約1年前、9歳年下のミュージシャン・永田雄樹さんとの熱愛が報じられました。もともと中山さんが彼のバンドのファンで共通の友人を通じて親しくなったとか。’22年から中山さんのツアーをバックアップするようになり、自宅を定期的に訪れていたともいいます。今春、中山さんが金髪にイメージチェンジしたことが話題になりました。永田さんは緑色の長髪という個性的な髪形ですし、彼の影響もあったのではないでしょうか」

 

50代の半ばを迎え、公私ともに順調だったと思われる中山さんだったが、近年のインタビューでは、こんなことも語っていた。

 

《どんなつらいことがあっても、人前では自然に笑っていられるような、そんな芯の部分にあるブレない何かが太くなっているように思います。それは、人の3周分ぐらいの人生を経験しちゃった気になっているせいなのかも(笑)》(『週刊朝日』’20年1月3日号)

 

彼女の抱えている「つらさ」とは何だったのだろうか。前出の知人はこう語る。

 

「10年前、フランスで暮らす辻(仁成)さんとの離婚協議中、彼女は都内で音楽家との密会が報じられました。その直後、離婚が成立したのですが、中山さんが“子供を捨てた”とする報道も出て当時は本当に悩んでいたようです」

 

’02年に辻仁成(65)と結婚した彼女は渡仏。’04年1月に長男を出産した。当時のインタビューでは息子への思いを熱く語っていた。

 

《どんなに疲れていても、寝不足になっても、子供がけろっと笑うと、それだけでもう吹っ飛んでしまう。子供が笑っている時が、今、私の一番幸せな瞬間なんです》(『LEE』’06年3月号)

 

《もう若いころから子どもがほしくて、他人の子がこんなに可愛いんだから、自分の子だったらどんなに可愛いだろうってずっと思っていました。(愛息の可愛い点を聞かれて)すべてですね》(『クロワッサン』’10年1月10日号)

 

《私にとって今一番大事なのは子供。だから日常こそ大切にしたい》(『LEE』’12年4月号)

 

だが、離婚後、帰国した中山さんは“親権を放棄した”と報じられ、苦悩の日々を送ることになったという。離別した息子への苦渋の思いを雑誌でこう明かしていた。

 

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