■「家庭的な奥さんを求める人なら、私は3日で追い出されてます」
四半世紀にわたって夫婦共演した“最後の作品”が’86年の映画『鑓の権三』。岩下は同年の五社英雄監督の映画『極道の妻たち』にも主演し、誰もが知る“極妻”女優として新境地を切り開いた。’12年、春の叙勲で旭日小綬章を受章した彼女は本誌の取材で夫への感謝をこう語っていた。
「篠田と出会えて本当に良かったし、彼には感謝、感謝です。献身的で、家庭的な奥さんを求める人なら、私は3日で追い出されてますよ(笑)」
岩下は東京・丸の内TOEIで今春開催されている「昭和100年映画祭 あの感動をもう一度」記念イベントのため、本来は3月29日に『極道の妻たち』舞台挨拶に登壇する予定だった。
27年ぶりの“極妻復帰”となるはずだったが、篠田さんの逝去にともない、イベント出席は取りやめとなった。映画関係者は、その内幕を打ち明ける。
「篠田さんが高齢となり、岩下さんは“できるだけ夫のそばにいたい”と近年は女優業をセーブされていました。それだけに昭和100年映画祭の目玉となる“極妻イベント”出席を数カ月前に打診された際も相当悩んでいたようです。熟慮の末、最終的に出演を決め3月中旬の打ち合わせの際は、事務所を通じて“久しぶりの登壇なので、細かく打ち合わせさせてほしい”と要望があったそうです。
そしてその際“公の場に出るのはこれでもう最後にさせてほしい”とも伝えてきたというのです。ひそかに女優としての引き際を考えていたのでしょう。“最後の場”として入念な準備をするべく、気合が入っていたようですが……」
金婚式から2年後の’19年、岩下は現在築37年となる自宅をリフォームしている。翌年の本誌のインタビューでは、その胸中を明かしてくれた。
《昨春には、自宅のリフォームも済ませました。彼はいまお話ししたとおりとても元気ですから、私が先かなと思ったりも、でも彼が突然というのもあるかもしれない。突然は寂しいからイヤだけど、もし向こうが患うことがあれば介護してやりたいと、その覚悟はあります》(’20年10月20日号)
また、別のインタビューでは、こうも語っていた。
《一大決心したのには、年齢的な理由もあります。私より10歳年上の篠田は90を間近に控えていました。今後のことも考えて、2階にある篠田の書斎を1階に移したほうがいいだろうということになったのです》(『婦人公論』’22年6月号)
