■「俳優になれば、父に見てもらえる」
山田が、野球の次に“やると決めた”のが俳優業だった。
「野球をやっていた当時、山田さんは父がライバルのような感覚になっていて、野球の話は一切できなかったそうです。
そんななか、唯一の家族だんらんが、テレビや映画を見る時間でした。山田さんは“俳優になれば、父に見てもらえるのではないか”と思い、俳優を目指し始めたといいます。
高校を卒業後に名古屋から上京して、俳優養成学校に通いながら、映画などのエキストラに参加し、現場でも演技を学んだそうです。舞台のセットを組み立てる大道具や、チケットのもぎりなどの仕事も経験したのだとか。
徐々に仕事が増えていき、’17年には映画12本、ドラマ5本に出演して、ブレークを果たしました」(前出・芸能関係者)
山田が多くの作品に出演するようになってからも、山田が「寡黙で厳しい人」と評する父のスタンスは変わらない。
「山田さんが俳優としての地位を固めつつあったある日、和利さんから、ある作品での芝居について、『別にお前の芝居がいいわけじゃなくて、キャラがハマってるだけだから』と諭されたことがあったそうです」(前出・芸能関係者)
しかし和利さんは山田が不在の場では褒めていたようだ。
’21年12月に山田が『人生最高レストラン』(TBS系)に出演した際、スタッフに“和利さんの息子に対する思い”を尋ねられた山田の妹が、コメントを寄せていた。
「褒める父ではないですが、『裕貴はよくやっている。俺にはできないことだからすごい』と前にポロッと言っていました。
今も出ている映画やドラマは必ずチェックしているし、映画館に大きく張り出されているポスターを見て『大きく名前載ってるね』とうれしそうにしていました」
そんな父子関係に近年、大きな変化が起きていた。
「和利さんは4年前からがんを患っていました。闘病中だった去年3月、山田さんは元乃木坂46の西野七瀬さん(31)と結婚。そして昨年8月には、山田さんのラジオ番組にお父さん、お母さん、妹さんの家族3人が出演したことがありました。それ以降、会話が増えていたそうです。お父さんからは、『おかんのこと頼むな』と伝えられたと話していました。
来年の日曜劇場で、野球と同じ球技であるラグビーが題材の作品に出演することも知らせていたといいます。スポーツの道を極めた和利さんは喜んだことでしょう。
和利さんは現役時代、スター選手でこそありませんでしたが、試合の大事な局面で活躍するバイプレーヤーとして知られていました。
一方の山田さんも、主役だけでなく、脇役でも存在感を発揮しています。堤さん主演の日曜劇場でもメインキャストとして、実力を示すことでしょう。和利さんは長い闘病の末、8月16日に逝去されました」(前出・芸能関係者)
その直前には和利さんからの褒め言葉もーー。9月8日に放送されたバラエティ番組『しゃべくり007』(日本テレビ系)で当時、闘病中だった和利さんからのサプライズメッセージが届いていた。
「あまり褒めたことはありませんが、厳しい世界の中で戦い抜いているところがすごいと思います。18歳で東京に行き、どんな苦しい状況であっても諦めずにここまで今日まで、自分の決めた道を続けてきたことに対して、すごいね」
父の言葉に、山田は目を潤ませながら、「最近は褒めてくれるようになったんですけど、あらためて言われるとうれしいですね」とコメントしていた。
和利さんから最後にやっと伝えられた褒め言葉を“ギフト”として、山田は自ら決めた俳優の道を邁進していく。
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