矢沢永吉(写真:本誌写真部) 画像を見る

2025年の大晦日、矢沢永吉(76)が13年ぶりに『NHK紅白歌合戦』に出演。新曲の『真実』だけでなく、予定にない『止まらないHa~Ha』『トラベリン・バス』を熱唱し、会場をヒートアップさせた。「キャロル」解散後、ソロになって50年。どうして、矢沢は第一線で活躍し続けられるのか。そこには「妥協しない姿勢」と「弛まぬ挑戦」があった。

 

伝説のキャロル――。テレビなどで往年の名バンドを紹介する時、このような枕詞が頻繁に使われる。演歌やフォークソングが主流の時代、ロック旋風を巻き起こした「キャロル」は1970年代前半の若者に多大な影響を与えた。

 

しかし、本当に売れまくっていたかといえば、そうとは言い切れないデータも残っている。シングルやオリジナルアルバムの売り上げは、最高で10万枚に満たないのだ。なぜ、キャロルは“伝説”と呼ばれるようになったのか。メンバーの1人だった矢沢永吉がソロの50年間で、クオリティの高い楽曲を作り続けてきたからである。

 

ソロデビュー当初、矢沢は険しい道を歩いた。街から街を渡り、年100本を超えるライブを敢行していたが、トラブルは日常茶飯事だった。

 

《最初は、主催者が金を持ち逃げしたとか、そんなことばっかし。金持ってとんずら。客は満杯。マネジャーは「やめよう。冗談じゃない。契約破棄だ」。でも客は待ってる。やるしかない。ギャラなんかないですよ。で、最高のステージやって帰る》(‘98年10月29日付/朝日新聞夕刊)

 

矢沢はほとんどテレビに出演しなかった。現在と違い、自ら発信する手段のない時代、マスメディアに頼らなければ、客足は伸びない。男の目に、残酷な光景が映った。

 

《いやあ、悔しかったよ。千五百の客席に三百だよ。ステージで言ったの。お前ら最高にラッキーだ。そのうち日本一になる矢沢を見に来てる。見に来ないやつを、後悔さしてやるから。絶対おれは日本でトップになるから。きょうは最高にパワフルな気持ち見せるから楽しんでいってください、と》(前掲紙)

 

矢沢は悔しさを力に変えた。発売ごとにアルバムの売り上げを伸ばし、‘77年には日本武道館で初めてライブを開催。当時、集客力の見込める外国人アーティストばかり使用していた会場に満員の1万人を集めた。以降、武道館コンサートは日本人歌手の目標になった。

 

翌年には『時間よ止まれ』が大ヒットし、著書『成りあがり』も大ベストセラーに。それでも満足できない男はアメリカに渡って、‘81年に全米デビューを果たす。

 

《周りから『矢沢さんは日本のロック界のスーパースター』と言われても、どこかおかしいなという気持ちはあった。こうした自分の置かれてる状況を外から客観的に見ることによって、少しずつ分かって来たんですよ。あれじゃ幸せになれないよ、あいつ、とね》《おだてた方は大ウソつきだけど、それに浸っていた自分も不純だった》(‘89年7月29日付/読売新聞夕刊)

 

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出典元:

WEB女性自身

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