■何が大事って、人生で1つのことをやり続けることだ
数字上の成功だけでは、心が満たされない。より良い音楽を追求するため、渡米したのだ。90年代に入ると、矢沢は役者にも挑戦する。缶コーヒー『BOSS』のCMで従来の突っ張りイメージと異なるキャラクターを演じた。これも、根底には音楽があった。
《高速道路を全速で走っていたけれど、最近は横道に入る遊び心を覚えた。これまで発見出来なかったものにも出合う。それが、音作りに影響を与えたかも知れません》(‘93年4月14日付/読売新聞夕刊)
一見、音楽に関係ない仕事がサウンド面に変化をもたらした。’97年には、イギリスでのロックイベントにアジア代表として出演。ロッド・スチュアートやジョン・ボン・ジョヴィなどと肩を並べた。なぜ、矢沢は挑戦を止めないのか。
《この緊張感が年とっていくと、だんだん薄くなっていく。ハッと気付いた時に、これじゃいかんっていうのが僕にはいつもある。(中略)大事なことは、待ってても誰もしてくれないってこと。自分で探してやる。波を自分で起こさないと》(2006年1月7日付/スポーツニッポン )
‘03年、キャロルのベストアルバムが発売されると、売り上げが20万枚を超える。過去のベスト盤、ライブ盤を含め、バンド最高のセールスとなった。矢沢の飽くなき挑戦が、キャロルの名を引き上げたのだ。
自らに緊張感を課す男は‘06年を皮切りに、音楽フェスティバルにも顔を出す。09年には小林武史からの依頼を受けて『ap bank fes』に出演。圧倒的なパフォーマンスで若者も虜にさせ、自身のライブ動員にも繋げた。
《50代の色気は30代には出せなかった。同じように70歳の時の色気はいまのオレには出せない。それぞれの年齢にそれぞれのカッコ良さがあるんだ。だから歌い続けるよ。人は仕事をやめちゃいけない。米国では金持ちになったらリタイアするけど、オレには考えられないね。何が大事って、人生で1つのことをやり続けることだ》(‘07年7月5日付/スポーツニッポン)
刻々と過ぎゆく時の中で、音楽への探究と挑戦を続けることで、矢沢は新しい自分に出会ってきた。
1つの音、1つのライブに神経を注ぎ込む男は‘25年11月、東京ドームでソロ50周年記念ライブを行い、2日間で11万人を集めた。キャリアの長い歌手のアニバーサリーとなれば、セットリストはデビュー期など一時代の曲に限定されたり、周年コンサートの曲目は被ったりする傾向がある。
だが、永ちゃんは違った。ドーム初日、オリジナルアルバム35枚のうち、実に15枚の中から楽曲をピックアップした。2日目には3曲を入れ替え、その枚数は17まで増えた。3年前の新国立競技場でのデビュー50周年ツアー初日のセットリストと比較すると、被りは24曲中5曲(20.8%)のみ。いつの時代も妥協せず、音作りに励んできた証だった。
矢沢永吉はどんな時もあきらめず、五里霧中のなかを必死に走り続けてきた。その姿勢と挑戦から生まれる数々の楽曲が、キャロルを「伝説のバンド」に変えたのである――。
■文/岡野誠:ライター、松木安太郎研究家。執筆記事〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉(2019年2月)が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞を受賞。著書に『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記』(青弓社)がある。
