《障子を蹴っ飛ばすことも》岸本加世子 実父の次は継父を在宅で…連続介護10年奮闘にあった「最愛実母への後悔」
画像を見る 岸本加世子(写真:本誌写真部)

 

■身寄りがなくなった実父を引き取って

 

前出の知人は続ける。

 

「彼女はよく『仕事で歯を食いしばって頑張れば、お母さんに親孝行できると思っていた』と話していましたね。お母さんも加世子さんの活躍に目を細めて喜んでいましたが、ドラマ『美空ひばり物語』(TBS系)の撮影中の’89年に、くも膜下出血で倒れてしまったのです。すでに意識がない状態でした。

 

集中治療室に入り、2カ月の入院生活の末、そのドラマが放送された4日後の’90年1月3日に57歳の若さで亡くなりました。あまりのショックに、“もう喜ばせる人がいない”と芸能界引退まで真剣に考えたそうです」

 

岸本は昨年11月27日、スポーツニッポン紙上の月替わり連載コラム「我が道」で、実母の死についてこう綴っていた。

 

《当時はショックのあまりぼうぜん自失となり、泣くことしかできませんでした。そんな母を満足に介護できなかった後悔はずっと心の中から消えません。でも、そんな私たち母娘を幸せにしてくれたのが継父。感謝の気持ちも込めて、日々、介護に努めています》

 

前出の知人も言う。

 

「加世子さんは“尽くせなかった母”への後悔の念があるからこそ、離別した実父の面倒も最期まで見ることにしたんです。離婚後、実父は別の女性と再婚していましたが、彼女が亡くなり、要介護2の状態で身寄りがなくなったんです。

 

そのため加世子さんが引き取ることを決め、自宅近くにアパートを借りて介護を始めたのです。元漁師らしく気性の荒い性格で介護の合間、何度も親子げんかをしていたそうです。そんなとき、うまく仲立ちしてくれたのが継父だったとか。実父のおむつまで替えてくれたこともあったといいます」

 

岸本を知る映像関係者も言う。

 

「岸本さんは仕事と実父の介護の両立に限界を感じ、最終的に施設へ入所させることを決断しました。しかし施設選びに失敗してしまい、疎外感を覚えた実父が感情を喪失してしまうこともあったと聞きました。

 

別の施設に移り、実父も感情を取り戻したようですが、78歳で他界。その後、継父も要介護状態となり、実父入所時の苦い記憶から“今度は在宅で看取りたい”と覚悟を決めたそうです。同居する弟さん一家と緊密に連携してお世話をしているといいます」

 

冒頭の『徹子の部屋』で、岸本は「最初は手探りで、ケアマネジャーやヘルパーに教えてもらいながら始まった」継父の介護の現状について触れ、

 

「高次脳機能障害なんで、言っても言ってもやっぱりわかってなかったりすることがある。“何回言わせるんだ”って思っちゃう」

 

「やっぱり体力がいりますね、介護って」

 

と苦笑いしていた。

 

「一般社団法人100年時代支援機構」上席研究員の武藤頼胡さんは言う。

 

「岸本さんのように、まだ若い母親を病気で突然亡くすと“もう少しこういうふうにできたんじゃないか”という後悔の念が生まれることがあります。その思いから2人の父親の介護に全力で奔走されたのでしょう。

 

私が言えることは、施設選びの際にはパンフレットやHPだけでなく、施設長の考え方を事前に把握しておくこと。施設長がきちんとしていれば、まず間違いはありません。電話で直接、施設長と話すこともよい方法だと思います。

 

ほぼ寝たきりの要介護5の継父を自宅で介護することはよほどの覚悟が必要です。実母に加え、実父の面倒まで見てくれた継父への感謝の思いが強いのでしょうね」

 

岸本は『徹子の部屋』出演時、亡き母の遺品の着物を身にまとっていた。現在の彼女の介護生活を天国の実母はどのように見ているのだろうか。

 

画像ページ >【写真あり】38年前、若かりし頃の色気たっぷりな岸本加世子(他1枚)

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