太川陽介(写真:本誌写真部) 画像を見る

実は、『Lui – Lui』は全く売れていなかった――。

 

10月21日、太川陽介(67)が『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演。“唯一のヒット曲”と公言する『Lui – Lui』を歌唱。黒柳徹子(93)とともに、手招きをするような「ルイルイ」ポーズも披露した。

 

太川は1976年12月、『陽だまりの中で』で歌手デビュー。しかし、オリコン最高65位、売上2.4万枚と振るわなかった。2曲目の『南風』も同じような結果に終わると、ピンクレディーや岩崎宏美(67)などを世に送り出した飯田久彦ディレクターは『Lui – Lui』で勝負に出た。

 

「世界的にヒットした『ルイルイ』という曲があったので、その曲をオマージュしたのかと思っていました。でも、何年か前に飯田さんに『ルイルイ』の意味を聞いたら、『意味なんてない』と言われました(笑)。ピンクレディーにも奇想天外な曲を歌わせていましたし、キャッチーな言葉で曲に勢いをつけたかったのかもしれません」(音楽関係者)

 

サビに向かう頃、脈絡もなく突然、太川が“ルイルイダンス”と、踊り始める。そして、最後には「ルイルイ!」と元気良く叫びながら、手を動かす。謎の一言と振り付けは「ルイルイって何?」と視聴者に疑問を抱かせ、脳裏に残る一曲になった。

 

では、太川の代名詞でもある『Lui – Lui』はどれくらい売れたのか。
実は、オリコン最高38位、売上6.3万枚とヒットしたとは言えない数字が残っている。

 

「1、2枚目の曲と比べれば、伸びていますが、売れたとは言い難い。彼と同期デビューの高田みづえさんはその頃、『だけど…』という2枚目のシングルを発売しています。これはオリコン最高6位、23.4万枚。同じ77年7月発売の曲なのに、売上は4倍近い差がありました」(前出・音楽関係者)

 

だが、人々の耳に残っているのは『Lui – Lui』だろう。どうして、売上枚数と曲の知名度が比例しないのか。

 

「あの頃はテレビ全盛期ですから、何度もブラウン管で目にすると『売れている』と感じたのかもしれません。桜田淳子さんや森田健作さんなど売れっ子を抱えていたサンミュージック所属の太川さんは、テレビに出やすい環境にいました。また、当時のオリコンは業界誌で、一般への販売はありませんでした」(前出・音楽関係者)

 

賞レースへのノミネートもヒットの基準だった。太川は『日本レコード大賞』で新人賞、『新宿音楽祭』で銀賞、『銀座音楽祭』で大衆賞を受賞。清水健太郎(74)、高田みづえ(66)、狩人らには及ばなかったものの、新人として格好の付く成績を残した。

 

「ヒット曲と認定された最大の理由は、『ルイルイ』という言葉が耳に残ったからでしょう。しかも、この年のレコード大賞の視聴率は50.8%ですから、単純に考えれば国民の半分が『ルイルイって何?』と違和感を持ったのです。何度聞いても覚えられない曲も沢山ある中で、『ルイルイ』のインパクトは凄かった」(ベテラン芸能記者)

 

太川はその後もヒット曲に恵まれず、81年で歌手生活は実質的に幕を閉じる。それでも、NHKの音楽番組『レッツゴーヤング』で司会を務めるなど、テレビには出演していた。そして、太川が歌うとなれば、みんなが知っている『Lui – Lui』が求められた。

 

「『ルイルイ』という言葉は発売当時だけでなく、太川さんが歌うたびに違和感を持たれました。こうして、『Lui – Lui』は多くの世代に馴染みのある曲になった。そのため、『ヒット曲』と完全に認定されるようになったのでは……」(前出・ベテラン芸能記者)

 

太川自身、「『ルイルイ』は歌いたくなかった」と何度も語っている。言葉の意味が不明で、振り付けが恥ずかしかったからである。そして、街を歩けば「ルイルイ」と呼ばれ、嫌な思いもした。

 

「蛭子能収さんとの『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』のロケ中、すれ違った人に『ルイルイ!』と言われ、激怒した時もありましたよ。もちろん、カットされましたけどね。普段は軽くいなすし、機嫌が良ければ一緒に『ルイルイ』ポーズをすることもある。でも、その時は失礼な言い方をされて、頭に来たんでしょうね。まあ、太川陽介という名前なのに、『ルイルイ』と呼ばれたら何か馬鹿にされたように感じますよね」(テレビ東京関係者)

 

そんな彼も、今では完全に吹っ切れた。公式YouTubeを『ルイルイちゃんねる』と名付け、『徹子の部屋』では笑顔で歌った。大嫌いな「ルイルイ」が大きな財産になるとは、夢にも思わなかったかもしれない。

 

画像ページ >【写真あり】「太川さんが大嫌いだった」と本誌に語っていた盟友(他1枚)

出典元:

WEB女性自身

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