[E:note]それが90年以降ということですか。
山崎 はい。そしてすぐに事務所が傾き、大体90年ぐらいから芝居に入ったけど、歌う場所が少なくて。ライブハウスでたまにしかなかったですね。それで、人に書いたり、たまにコンサートに呼ばれたらゲストで行くということをしていました。芝居とかもやっていて、97年にポンと事務所がなくなった。そのころは、ライブハウスでちょこちょこやっていましたけど。そこから、ちょうど10年ですよね。いろいろなことを経たので、いまはもう自分も反省したし、あのころのやり方はなあなあで、シンガーソングライターって別に欲もないし、金もないし、印税がどうのとうるさくも言わないし、これでいいんじゃないかと来ていたところも反省してほしいけど。まあ、いないからあれなんですけどね、昔の事務所関係者はね。昔は、何やってもお金はもらえなかったんですよ。どんなコンサートをやろうが、コマーシャルやろうが、映画監督やろうが、お金がもらえない。直接「はい、報酬」というのはないんです。だから、このコンサートに行ったら報酬があるとか、お金がもらえるということが一度もなかった。いい意味ではピュアだったと思う。何やってもタダ。タダでやるのが当たり前だから。だから、ライブハウスでひとりでやってお金をもらえるようになったら自分の心が腐るのかと思ったけど、全然腐らないですね。それはそれ、歌い出したら、もう別人になるんですよ。そこに自分がやりたいという絵があって、そこにどれだけきっちり歌として投げられるかだけ。自分が前にいるから。その人は理想の歌を知っているから、絶対にOKを出さないんですよね。今日はいいと思っても、「もうちょっと行けたんじゃないか」と言われるから、悔しいわけですよ。先を行く自分がいつも駄目出しをしているから。「あんたの力だったら、もうちょっとできるでしょうよ」とか思う。その力というのは心ですよね。心力みたいなのがあるんですよ。その心を知っているのは自分しかいない。それを、「ここまでしか表現できないの?」とか言って、すねちゃうの。もっと表現を出したいんですよ。人間の気持なんて、言葉にはならないから。
[E:note]97年から2007年って、     
山崎 私の歌で『流れ酔い唄』というのが昔あって、それを超えたくて超せなくて悩んだ時期があったんですけど。歌詞が名言で、その歌があったから事務所のこともすべて、人を一切恨んでいません。「人は誰でも弱い嘘つき、弱いほどに罪深い」。つまり、人を殺めるときでも何にしても、一瞬弱い死神のようなものがとり憑くんじゃないか。弱さの裏返しが、刺すとかそういうことだと思うんですよね。弱いことが罪と言っていいくらいだから、自分をもっと強くしなければいけないんだと思うんです。自分がもっと強ければ、耐えられる。でも、弱いと耐えられない。人を攻撃するのは自分が弱いからなんですよね。だから、私は課題にしているんです。辛い歌を歌うときに負けたら泣いて歌えないんですよ。それを歌うためには、ものすごく強い精神力がないといけない。奈落の底に落ちるぐらい辛いけど、這い上がろうとしている歌なんですよね。でも、這い上がれないと言って、自分が泣くんです。心中したくないから、強いところに行く。「ねっ、歌えたでしょう」。「大丈夫だったじゃん、いまあんたはひとつ乗り超えたんだよね」というような歌があるんですよ。自分で叱咤激励している歌が多いから。人に怒られるより、自分で怒るんですよね。怒ってくれる人がいないから。褒めてくれる人もいないし、叱咤激励する人もいないから、全部自分のための、優しくて強い子守唄を歌っているというのがハコの歌なんですよ。それはロックであろうが、どういう形態であろうが。やはり、自分を試すように、このぐらいで耐えられるかな、この辛さに耐えられるかなと日一日やっていること=生きていること、という感覚はあります。何かあったときに「ちょっと待って」というふうに、もう一個自分につけると、06ひょっとしたらと。それでも、うつとかは病気でしょう。病気に対しては言えないんですね。病気でなければ「もっと強くならなきゃあ」と言えるけど、病気というのは別物だと思っているので。本人の意思とは違うから。それはがんとかと同じように解釈したほうがいいと思っています。本人を責められないから、原因がわからないから。でも、そうなる前に「もう少し強くなるんだ」「もう少し強くなろう」とか、思ったほうがいいかもしれない。その弱さを私はわかってあげるというのを歌っているんですけど。そうしたときに、その弱さを責められないということを、九州弁で歌うんですよ。「責めることはできないね」って。だから、恨むこともできないし。その言葉があれば、どんなことでも、例えば失恋でもなんでも「そうだよ、あの人は弱かったんだよ、嘘ついてさあ。それを責めちゃいけないよね」と思ったら、全部許せちゃう。「その歌を作ったのは私でしょう?」と自分に言い聞かせながら。だから、恨んだりしては、あの歌を作った自分がかわいそうじゃん、なんて思って。『飛びます』なんて、あんなすごい歌を17歳で作っているのに、なんでいま負けているのよとか言って。やっぱり自分の歌で救われたんですよね。ということは、山崎ハコの究極の救世主になり得る歌を作っている、「この人を引退させちゃいけないだろう」なんて自分で思って、引退するもしないも、自分の意思一つだなあと気づいたんですよ。ハコというのを生きさせたのは、32年前の私ですよ。高校生の私がデビューすると決めたときに、ハコというのは誕生したんです。それまでは、本名の普通の 高校生。「ハコ」って、その1日前は存在してないんだから。デビューしたその瞬間に誕生しているんですよね。自分の意思でデビューすると決めたからですよね。その人の最後というのは、自分の意思ひとつで決まる。だから、うやむやになって、「あの人、どこに行ったんでしょう」と言われたくないんですよ。ちゃんと引退するとか、命がなくなりましたならいいけど、「売れないからやめちゃったんじゃないの」と言われたくないんですよ。私の愛するハコには、そんな最後になってほしくない。
「もう必死で、体がボロボロでも歌ってて、それでも歌はしっかりしていたよね」とか、「それでも、あいつはすごい歌手だったね」とならないといけない。最後の歌でぼろぼろになっていたくないんですよ。だから、いつ録音されて、いつ最後になってもいいように、毎回必死になる。それで、ちょっとミスったりはしたけど、あの日はとにかくいいライブだったというふうにしておかないと嫌なんですよ。今月、今夜のこの日を大事にするんですよね。片時も、いい加減というか、手を抜くのが嫌なんです。最高を出そうとしている自分がいないと、嫌なんです。だから、「明日もあるんだから、セーブしてください」と言われても、それはできなかったりする。

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