[E:note]そのころからお酒を飲んだりしていたんですか。
りりィ そうですね。でも、本格的に飲み出したのはもっとあとです。15歳は、まだその界隈で知り合いを作っていく段階。16歳ぐらいからは結構行っていましたかねえ。
[E:note]すごいですねえ。僕もゴールデン街はたまに行きますけど、15歳で行くというのは。
りりィ そういう時代でしたね。だからあんまり……どうなんだろう。
[E:note]周りにも、そういう人はいましたか。
りりィ あのころは、フーテンだのヒッピーだの、若い人たちが家を出て、今でいうストリートの021人たちと同じような暮らしをしていましたからねえ。家に帰らず、あちこちに寝泊りして。そういう時代だったし、いまのように家出がどうのこうのと、あんまりうるさくなかったですよ。でも、15歳というのは珍しいほうだったと思います。皆、17~18歳だったと思います。でも、お互いに年は言い合いませんから。私も働くので年をごまかしたし。
[E:note]一応20歳とか言ったわけですか。
りりィ いや、18歳ぐらい。
[E:note]そのころはどんな歌を歌っていましたか。
りりィ イタリア人でニーナという人がいて、イタリア風のメロディーを日本語で歌うんですよ。その人を3曲ぐらい。あとはフォークですね、『ドナドナ』とか、『500マイル』とか。
[E:note]お店から出演料という形でもらうんですよね。
りりィ もちろん、そうですね。でも、1回やると2万円ぐらいの稼ぎにはなっていたから。
[E:note]2万円といったら、相当じゃないですか。
りりィ うん。しかも若いから、それを使い終わるまで仕事をしないんですね。アハハ。それでまた、お金がなくなると歌わせてみたいな感じで。
[E:note]お店も、相当儲かっていたんですね。
りりィ あのころは、スナックといったら結構儲かったみたいですよ。女の人もいたりするから。よくわからないですけど、あの界隈は作家だとか、大御所の人たちがいっぱいいましたから。スナックといっても、いまでいうクラブみたいなものですよね。
[E:note]当時の2万円ですから、いまでいうと何倍もの価値がありますよね。2万円もらったら、次にやるまでどのぐらい遊んでいたんですか。
りりィ どうでしょう、忘れたなあ。ただ、周りで唯一アパートを借りているのは私だけだった。アパート代は幾らぐらいだったのかなあ、全然覚えてない。だから、16歳ぐらいから仕送りももらわないで自分で生計を立てていました。
[E:note]いまはゴールデン街には行かれませんか。
りりィ たまに行きます。お店の名前は忘れたけど、この年になるとすぐ忘れるんですね(笑)。私がとりあえず一番仲がよかったのは、ジュニアンのキヨ。
[E:note]なくなって、また、復活したんですよね。
りりィ ジュニアンは最近あまり行かなくなって。たまに、ふざけて横山さんがやっているお店に顔を出したりしていますが、何年に1回という程度で。キヨが生きている間は、結構ジュニア022 ンに用事があって行っていたんですけど。キヨは、死んでもおかしくないぐらいの生活をしていたからね。
[E:note]僕らの年代だと、なかなか昔からのお店には行きづらいですね。
りりィ そうでしょうね。でも、いまゴールデン街はすごく明るい雰囲気になっているんだけど。いまはほとんど新しい店が多いんじゃないですか。
[E:note]そうですね。自分たちで行ける店というか。
りりィ そうですね。ひと回りして、また新しくなっているという感じですよね。最近は、若い人とも共存してやっていかないといけないから。
[E:note]だから、何かきっかけがあればいいんでしょうけど。
りりィ 昔の人も行けて、若い人たちも行けるような雰囲気にならないと難しいですよね。

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